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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

寺院のご案内

西法寺の沿革

 西法寺の西門に石碑が建っています。その石碑に西法寺の歴史が記されてあり、その碑文を書き写したものが
 残っています。
 それをもとにして前住職(第19代正香)が平成8年に出した「西法寺沿革」を要約して紹介させていただきます。
 西法寺の由来と沿革は「西法寺記念事業完成記念誌」でご覧いただけます。≫≫PDFはこちらをクリック

放光寺創建時代

 今から約1400年前、聖徳太子が仏法を広めるため「塩出山 浄生院 放光寺」というお寺を枯栖山(今の芝山らしい)のふもと、杜本神社の近くに建てられました。
初代の住職は「実言」という方でした。
 その後宝亀3年(772年)火災で、堂塔、門などすべて焼失して僅かに礎石を残すだけとなったために、小さなお堂を建てて法灯を護り続け、創建以来900年が経ち、第53代「実弘」の時代となりました。

浄土真宗となった頃

 当時の国分代官「安藤 善正」は実弘の弟であり、兄弟で本願寺第8代の「蓮如上人」を慕い、そのみ教えを信奉して浄土真宗に帰依しました。それが文明8年(1476年)のことです。
 そこで、西法寺は「善正」を浄土真宗としての開基住職としています。
その後「蓮如上人」が当寺にお立ち寄りになり7日間御逗留され、浄土真宗のみ教えをお説きになられました。

西法寺と改称され頃

 「放光寺」が「西法寺」という名前(寺号といいます)に変わりましたのは、慶長12年(1607年)10月に本願寺第12代宗主准如上人より「西法寺」の寺号を賜り公称するようになりました。

本堂再建の頃

 当時の「西法寺」は芝山の東側山麓付近にあったと思われますが。国分の中心からは少し離れていて人々の参詣には不便でしたので、第8代住職「善空」の時に現在の地(国分本町5丁目)に移転し、本堂は寛文6年(1666年)から貞亨2年(1685年)の約20年の歳月をかけて建立されました。
 その後、100年以上の歳月をかけて、鐘楼、東西の門、宮殿、書院、内陣などが整備されていき、現在のような形となって残されています。