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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2025年7月の法話
    「 老いや病や死が 人生を輝かせてくださる 」
          (2025年 真宗教団連合「法語カレンダー」7月のことば)
 今月の法語は、真宗大谷派山田寺の住職をされ、真宗大谷派鹿児島教務所長、鹿児島別院輪番を歴任された湯浅成幸(1930~2018)先生の言葉です。
 今月の言葉は、先生の著作『病死の生に学ぶ~無量寿の花が開くとき~』(東本願寺出版2005)の中、「涅槃にいたる仕事」と題された随筆の中の一文であるということです。
 (『月々の言葉』本願寺出版社刊でご教示いただいたことです。)

 私自身、湯浅先生のことは全く存知あげませんでしたので、グーグルで検索してみました。そこで、大谷派の能登教区の「今日の言葉」というページに出会いました。その中に湯浅先生の言葉が紹介されてありました。

「老いや病や死によって人生が挫折するのではなくて むしろ、老いや病や死が、人生を輝かせてくださる。」と、そしてその解説には以下のように書かれてありました。

【若いうちには、なかなか実感することはありませんが、中年を過ぎた頃から徐々に実感されてくるものとして、老いや病があります。その不安感をつかまえて厄年などがあるのでしょうし、また、テレビなどでは、美魔女などと言って年齢に相応しない外見的な若さを持った方が誉めそやされたりしています。そういった若さと健康を求める状況に慣らされた私たちにとっては、老いや病や死は、あまりにも遠ざけたいがために、言葉にするのもはばかれるような感がありますが、それは、どこか遠くからやってくるのではない、ということを忘れていないでしょうか。
 老も病も死も、「おぎゃぁ」と生まれたところから私たちが持っているものです。その事を忘れてしまうと、ずっと追いかけて老病死の事実から逃避するばかりの人生が待っていますし、思いもしないような病気にかかれば、人生そのものが挫折してしまいかねません。
 仏さまの教えを通して、私自身が生まれながらにして持っているものとしての老いや病に向き合うとき、かえってその避けたいものが、人生を輝かせるものとしていただきなおされてくるのです。
 眼を背けて逃げるばかりではなく、また、そのうち納得する、ではなく、今、教えを聞いて向き合ってみませんか?】(2018.1.14 真宗大谷派 能登教務所HPより)

 お釈迦さまが出家された動機としてよく語られるのが「四門出遊」のお話しです。自らの生とそれに伴う老病死を克服する道を求めて出家されたのがお釈迦さまであり、その生老病死の苦悩を解決された、つまり「さとり」を開かれた方がお釈迦さまであります。
 老いや病そして死は私たちの生活(生と言った方がよいかもしれませんが)を分断するものです。「いつかはそういう日も訪れるだろう」と、そんな思いを心の片隅に持ちながらも、ほとんど気にも留めず毎日を過ごしている自分です。それは「老病死」を避けているということでしょう。「老病死」のことは考えたくないとの思いがあるということだということです。
 
 今月の言葉は、「老病死」に、正面から向き合うことで、人生が輝くのだと教えてくださいます。
 私は中々正面から向かい合うことのできない人間だと思いますが、「老病死」を克服し悟りを開かれたお釈迦さまが、そんな私に向かって「人生逃げ続けのあなたのことを大切に思い、あなたを丸ごと抱えて引き受けてくださる阿弥陀さまがおってくださるよ」と教えてくださっています。
 そして阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」のお名号(お念仏)となって私に向かってはたらいてくださっているのです。
 必ず「老病死」を受け止めていかなければならない私に対して、「わたしが一緒に支えていますよ、安心してください」と、よびかけはたらいてくださっている阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)なのです。その阿弥陀さまと一緒であると、受け取らせて頂けるのは、老病死に直面した時ではないかと思います。ある意味、安心して老病死が受け止められることが「輝き」を与えてくださるということではないかと思います。
皆さまお念仏申しましょう
                                    南無阿弥陀仏