(2026年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙・1月のことば)
あけましておめでとうございます。
新年を迎えてからすでに6日が過ぎようとしております。昨年末にホームページの更新をさせて頂きたかったのです。しかし、実際には12月3日以降西法寺のホームページは閲覧できない状態になりました(お恥ずかしいことですが、そのことに気付いたのは、12月下旬になってからでした)。諸般の事情により現在に至っておりますことご理解賜りますようお願い申し上げます。
さて、今年も真宗教団連合から出されていますカレンダーの「毎月の法語」をご縁に月々の法話を書かせて頂きたいと思います。
法語カレンダーの裏面には真宗教団連合の説明文があります。そこには2026年の法語カレンダーのテーマも、昨年に引き続き「親鸞聖人に遇う」であるとされ、「親鸞聖人のみ教えにふれた先達のお言葉を通して、あらためて宗祖に出遇っていただきたいと願い13点の法語を選定いたしました」と、記されています。
先達の尊いお言葉を頂戴し、親鸞さまのみ心に少しでも触れさせていただきたいと思うことです。
今年の法語カレンダーの表紙の言葉は、真宗大谷派の藤代聡磨(ふじしろとしまろ)先生
(1911~1993年)のお言葉です。
「これからがこれまでを決める」このお言葉だけ読ませて頂きますと、これから起こることは、過去の土台の上にある。その土台を価値あるものにするためにこれからの生き方を考えなさいという意味であるように思えます。
ところが、『月々のことば』(本願寺出版社刊)には、以下のようにお示しくださっています。
これからがこれまでを決める
得度を祝して
春が来る 正月が来る と申します
南無阿弥陀仏があれば 浄土は来る
南無阿弥陀仏は 向こうから来て
目の前を 浄土にするので
未来は 歳と共に だんだん明るくなる
『藤代聡麿先生法語集』(九州鸞音会刊)
このように法語の背景を紹介して頂きますと、過去の行いを価値づける為に、これからの行いを正していくという意味ではないことがわかります。
得度とは浄土真宗の僧侶となる式です。浄土を目指す僧侶となる式を終えたからといって私自身が仏様に近づいたわけではありません。お浄土(阿弥陀仏)が私を目当てとしてはたらき続けて目の前にいてくださっていることに気づかされるとき、過去の土台の上に立っている今の自分を教えてくださり、阿弥陀さまに照らされて生きている自分であることを教えてくださる言葉であると知らされます。
今ここに、その阿弥陀仏に照らされている私がいます。しかし、その光を太陽の光線のように、電球の明りの光のように感じられない私がいます。光はどうすれば感じられるのでしょうか。
「聞光力(もんこうりき)」というお示しがあります。『浄土真宗辞典』には「仏の智慧の光明のはたらきを聞信すること」と示されています。つまり阿弥陀仏のおはたらきを聞かせていただき、そのまま受け取らせていただくことが大切なのです。
一月の法語は、本願寺派の門信徒会運動や基幹運動本部で活躍された藤田徹文(ふじたてつぶん)先生(1941~2024年)の言葉です。仏さまのおはたらき(み教え)を聞かせていただくことによって自分自身の相(すがた)が明らかになることをお示しくださいます。
光明てらしてたえざれば 不断光仏となづけたり
聞光力のゆえなれば 心不断にて往生す
(阿弥陀仏の光は絶えることなく照らし続けるので、不断光仏と申しあげる。その光のはたらきを聞く信心もまた絶えることなく、往生することができる《三帖和讃現代語版より》)
阿弥陀さまは絶え間なく私にはたらき続けてくださっています。そのはたらきを聞かせていただくことによって、私自身の相(すがた)がそのまま知らされるのです。それは太陽の光が夜の闇を破りそこにあるものの姿を照らし出すようなものです。私のありのままを照らし出す阿弥陀さまのはたらき、そんな私だからこそ捨ててはおけないとはたらき続けてくださる阿弥陀さまなのです。
阿弥陀さまのみ教えを大切にお聴聞させて頂きたいものです。 南無阿弥陀仏