(2025年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
今月の法語は、龍谷大学名誉教授であり、浄土真宗本願寺派の勧学であられた村上速水先生(1919年~2000年)の言葉です。
この言葉は、『蕗の薹―こころの巻頭言集―』(本願寺出版社刊)の一文だそうです。この書籍は、村上先生が執筆されていた本願寺発刊の月間雑誌『大乗』の1988年4月号から1992年3月迄の4年間の巻頭言をまとめられたものだそうです。
さて、今月の法語に出てまいります「確かなもの」ということについて、少し考えてみたいと思います。
まず、「確かなもの」と言われて、思い浮かぶことは「壊れないもの、崩れないもの、変わらないもの、私の期待を裏切らないもの」等々ではないかと思うのです。しかし、ここでは、私にとっての「確かなもの」ということであろうと思います。それは壊れることなく私を支え続けてくれるものということになります。
私という人間は、間違いなく、色々なものに支えられて存在しているのだと思います。ところがその支えは、これも間違いなく移り変わり変化し崩れていくものです。何より支えられている自分自身が刻々変化し、いずれは崩れ滅していくものです。
それが、諸行無常の教えであると思います。そういう自分であるからこそ「確かな支え」「変わることなく崩れることのない支え」を求めていくのでありましょう。
現実的には、お金であったり、資産であったり、自身の体であったりということになるのでしょうが、すべては崩れていきます。そんな私を心底から支え、絶対に裏切ることなく、はたらき続けてくださるものを求めて生きているのが私たち人間ではないでしょうか。その思いに応えてくださるのが阿弥陀さまという仏さまなのです。
それは、阿弥陀さまの根本の願いが何故起こされたのかを聞かせて頂くことで理解されるのではないかと思います。
私が龍谷大学の学生であったときに、大江淳誠先生が「何故、大経(仏説無量寿経)が浄土真宗の正依の経典かわかるか。それは、大経には阿弥陀仏の本願が説かれているからじゃ」と教えて頂きました。
大経には、如来さまがこの世にお出ましになられるわけは「仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである」【浄土三部経(現代語版)より】と説かれています。ですから衆生救済のためにたてられた根本の願いが「本願」です。大経には48種の阿弥陀仏の願いが説かれています。そしてその中心になる願いが18願目の願いです。その願いは、
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わ ずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを 開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。 【浄土三部経(現代語版)より】
というものです。
阿弥陀さまは、この願いを仕上げるために、超載永劫と言われる長い長い間、修行をされて願いを成就せられたのです。
如来さまのご修行は、まさに私を浄土に生れさせるための修行であったのです。それが本願のはたらき(力)です。絶対に裏切ることなく私を包み支え続けてくださっているのです。
そのことを、お示しくださる12月の法語です。
如来さまのおはたらきがあればこそお念仏申させて頂くことのできる私です。
皆さまお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏