(2018年 真宗教団連合「法語カレンダー11月のことば)
今月の法語は親鸞聖人の書かれた『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』の中の一文です。
『尊号真像銘文』とい書物は、親鸞聖人のご在世当時に、ご本尊として安置された名号(例えば「南無阿弥陀仏」・「南無不可思議光如来」・「帰命尽十方無礙光如来」など)や祖師の絵像(例えば七高僧の方々の絵像など)の余白の部分に、示されている讃文を集めてその内容を解説されたものです。
尊号真像銘文の現代語版には、次のように書かれてあります。(今月の法語の少し前の文章から書かせて頂きます)
《「其仏本願力(ごぶつほんがんりき)」というのは、阿弥陀仏の本願のはたらきということである。「聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう)」ということについて、「聞」というのは、阿弥陀仏の本願に誓われた名号を信じるということであり、「欲往生」というのは、安楽浄土に生まれようと思えということである。》
(下線部が今月の法語)〔尊号真像銘文現代語版 西本願寺刊〕
尊号真像銘文には、上の文章に続いて、阿弥陀仏の本願に誓われた名号を信じて浄土に生まれようと思う人は、みなもれることなく生まれさせて頂けることが説かれ、それは阿弥陀さまのはたらきによることで自然なことであると示されています。
このように、阿弥陀仏の本願のはたらきをそのまま受け取らせていただくことが大切なであることをお示しくださったのが今月の法語です。
それは、私たちが阿弥陀さまのはたらきをそのまま信じ受け取ることが難しいということを表しているのでしょう。先月の法話では、私たちは、あらゆる煩悩に縛られた身であることを示されました。
色々なことを聞くということについても、人それぞれに聞き方というか受け取り方が違っていると思います。自分の持っている煩悩のはたらきで、相手の言葉をそのままに聞くというのは実は大変難しいことではないでしょうか。
以前に、私たちの聞く態度について、三種類に分けることができると教えてもらったことがあります。
一つ目は、ただ聞き流しているだけで、言われたことをちゃんと聞いていない。
二つ目は、自分の都合のよいところだけを聞いて、全部分かったつもりでいる態度。こういう聞き方が、一番多いのではないかと思います。
三番目は、言われたことをそのままに聞く姿です。これは大変難しいと思うのですが、そう思う心が問題なのであるかも知れません。
自分自身のきく態度について改めて考えてみたいものです。
阿弥陀さまが、「我が名(南無阿弥陀仏)を称えてくれ、私のはたらきで必ず浄土に生まれさせるから」と言われるのなら「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏……」と称え、お浄土に生まれさせて頂けると思っていればいいのでしょう。あれこれ詮索する必要は何もないのだということです。
煩悩に振り回され生きている私たちです。だからこそ、阿弥陀仏のはたらきをそのまま聞かせていただくことが大切なのです。
南無阿弥陀仏