「南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きはもなし」
(2009年 真宗教団連合「法語カレンダー」4月のことば)
4月8日はお釈迦さまの誕生をお祝いする「花まつり」です。
お釈迦さまは、今からおよそ2500年前北インドのルンビニーという花園でお生まれになったと伝えられています。
お釈迦さまは、生まれられてすぐに立ち上がり、七歩あゆまれて右手で天を指さし左手で地面を指さして「天上天下唯我独尊」と申されたとも伝えられています。
西法寺では毎年4月の初めに「こども花まつり」を開催しておりますが子供たちにこのようなお話をさせて頂きます。実際生まれたての赤ん坊が七歩あるいたり、難しい言葉を喋ったりするはずはないと思います。しかし、その伝説が意味するところは大切なことを教えて下さっていると思いますのでそのままお話させて頂きます。
この七歩というのは六道を超えるということだと先輩から聞きました。六道とは「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天」の六つの世界です。これはみんな苦しみの世界であり、私達は自分の行いによってこの苦しみの世界をめぐっていくのだと教えられ、これを輪廻と言います。その苦しみの世界を超えていく者になるということをこの七歩で表しているのです。
「天上天下唯我独尊」という言葉もよく「自分だけがこの世で一番エライ」という意味だと誤解される場合が多いのですが、本来は「この広い世界の中で私という人間はたった一人しかいない掛け替えのない大切な存在」であることを表した言葉であります。
お釈迦さまのお誕生の伝説は私たち一人ひとりのいのちの尊さとその尊い一人ひとりが苦しみを超えて本当の安心を得ることが仏教の目指すところであることが表わされていると言えましょう。
ですから、お釈迦さまが悟られ仏になられたということは、私達一人ひとりが本当の安心を得る道を悟られたということです。
そのお釈迦さまが私達に浄土三部経(仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)を説かれて、阿弥陀如来が私達一人ひとりに安心を与えようと何時でもどこでもはたらいておられることを教えて下さっています。
冒頭の法語カレンダーの今月の言葉は、親鸞聖人が詠まれた歌(現世利益和讃)の一節です。親鸞聖人は阿弥陀如来のお徳のすべてが納まっているのが「南無阿弥陀仏」(念仏)であると示して下さいました。念仏を称えることは、今ここにいる自分に阿弥陀如来がはたらいて下さっていることの確認とも言えます。
自分自身がどんな状態であっても自分のことをわかり通して下さる阿弥陀さまと何時でもどこでも一緒だという実感を持つことが、最高の利益であると聖人はお示しくださっているのだと思います。
南無阿弥陀仏