「智慧(ちえ)の念仏(ねんぶつ)うることは
法蔵(ほうぞう)願力(がんりき)のなせるなり」
(2009年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
今月の言葉は親鸞聖人の詠まれた『ご和讃(三帖和讃=浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)』のうち「正像末和讃」の中の一首からのことばです。
「智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし」
阿弥陀さまの願いは私達に本当の安心を与えたいというものでした。それは何者にも揺るがされることのない安心、何が起こってもたとえ死んでも大丈夫という安心であるというものでしょう。そのために、私達一人ひとりに仏の悟り(涅槃)を開かせたいというのが阿弥陀さまの願いなのです。
私達が悟りを開くためには信心がなければだめだと聞かせて頂いていますが、その信心は阿弥陀さまから頂くものであることを示して下さったのが今月の言葉と味わうこともできると思います。
上のご和讃を頂きますと、阿弥陀如来のさとりの智慧が一杯詰まっているのが念仏(南無阿弥陀仏)で、念仏を私たちが頂く(称える)ことができるのは、法蔵菩薩(=仏説無量寿経には、ある国の王様が人々に本当の安心を与えたいと思い立ち世自在王仏という仏さまのもとで出家され修業されて法蔵菩薩となられ、その法蔵さまが5劫という長い長い間考えに考え抜いて48の願いを建て、またまた長い長い間修業してその願いを成就され阿弥陀如来という悟りの仏さまになられたことが説かれてあります)が建てられた願いを成就するために修業されてえられた功徳の力(はたらき)があるからだと示して下さっています。
つまり、法蔵菩薩(阿弥陀如来と申し上げてもいいと思います)の『私は自分の名前(南無阿弥陀仏=念仏)に私のすべて徳をおさめ入れ、そのはたらきよって人々を救おう。だからどうか我が名を称えてくれよ』の願いによって私達にお念仏が届けられているとも言えましょう。
阿弥陀さまのはたらきは絶対に私を裏切ることなく捨てることがないので、私たちは阿弥陀さまに任せることができるのだと思います。つまり阿弥陀さまを信じる心は阿弥陀さまのはたらきによって与えられていると言えます。ですから親鸞さまは、信心は頂くものだとお示しになったのです。
阿弥陀さまから頂いた信心のはたらきで必ずお浄土に生まれさせて頂き、阿弥陀如来と同じこの上のない悟り(涅槃)をえさせて頂くのです。
だからこそ、阿弥陀さまのはたらきを縁あるごとに聞かせて頂くことが大切なのだと思います。
南無阿弥陀仏