「如来(にょらい)二種(にしゅ)の回向(えこう)の
恩(おん)徳(どく)まことに謝(しゃ)しがたし」
(2009年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
今月の言葉は、下の和讃(正像末和讃-親鸞聖人作)の一節です。
「無始(むし)流転(るてん)の苦をすてて
無上涅槃(むじょうねはん)を期(ご)すること
如来二種の回向の 恩徳まことに謝しがたし」
このご和讃の意味は
「いつが初めかも知れない遠い過去よりまよいを重ねてきたけれども、いよいよこのたびその流転の苦しみを捨てて、最高の涅槃(さとり)の楽しみを得ることを期待される身にさせて頂いた。それは全く阿弥陀如来の二種の回向(往相回向と還相回向)のたまものであります。ですから、まよいを離れて自利利他円満のさとりを得ることとなったのも、阿弥陀如来の大悲心より信心を回向されることによるのです。私より何ら加えるものではありませんからその恩徳はまことに広大であって何物にも比べることができず、また言葉で表すことも、思いはかることもできないものです。したがって、どれほどその恩徳を思い報謝しようとも報謝し尽すことができない。それほど広大な恩徳であります」(三木照國師著『三帖和讃講義』永田文昌堂刊を要約)
ここでは、私たちの自分自身の相(すがた)が浮き彫りにされてきます。つまり、私自身は永遠の昔から煩悩によってまよい続けてきた身であり、自分自身の力ではそのまよいの世界から抜け出す(解放される)ことができない身であることが示されています。ところがそんな私が縁あって阿弥陀如来の光(はたらき)に出あうことで涅槃(さとり)を求める心、または浄土に生まれたいと思う心を、阿弥陀如来から恵まれるというのです。
浄土真宗では阿弥陀さまがその功徳を衆生にふりむけはたらくことを回向といい、その相に往相(おうそう)と還相(げんそう)の二種あることを親鸞聖人はその著『教行信証』の中に示されています。
往相とは私たちが浄土に往生してさとりを開く(涅槃に入る・成仏する)ことのできるようにさせる阿弥陀さまのはたらきです。
還相とは悟りを開いたものが直ちに大いなる慈悲の心で他の一切の衆生を救う活動(はたらき)をおこすことをいいます。
ですから、私たちが阿弥陀さまのはたらきに出あいその「はたらき」をそのまま喜ばせて頂く(信心獲得)身とならせていただいたなら、往相・還相の二種の利益を得る身となるのです。
阿弥陀さまは、どんなに罪が深く重く救いようのない者であっても絶対に捨てることなく必ず救われる方であります。ここに自分自身の罪の深さに気づかされていく世界があります。そのような自分自身のもつ罪を忘れ去られつつあるのが現代という時代ではないかと近頃の風潮を見るにつけ思うことです。
だからこそ、私どもは、i阿弥陀さまのはたらきを繰り返し聞かせて頂きたいものだと思います。
南無阿弥陀仏