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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2010年2月の法話
   阿弥陀仏(あみだぶつ)は光明(こうみょう)なり                       光明は智慧(ちえ)のかたちなり」
(2010年 真宗教団連合「法語カレンダー」2月のことば)
 今月の言葉は親鸞聖人の書かれた『唯信鈔(ゆいしんしょう)文意(もんい)』という書物の中の言葉です。

 西本願寺から出版されています『浄土真宗聖典(註釈版)』には「唯信鈔文意」について以下のように説明されています。

 ≪親鸞聖人が、同じ法然聖人門下の先輩にあたる聖覚法印の著された『唯信鈔』について、その題号及び引証された経釈の要文に註釈を施されたものである。…… 聖人が『唯信鈔』を尊重され、また門弟にしばしばこれを熟読するよう勧められていることは、御消息の記事や数回にわたる写伝の事実などから知られるところであるが、『唯信鈔』に引用される経釈の文について、聖覚法印は詳細な解釈は施されていない。
 本書は巻末の文からもうかがえるように、この『唯信鈔』の要文を註釈し、人々に領解しやすいように懇切に説き示されるとともに、「極楽無為涅槃界」の釈にみられるような深遠な解釈を施して、浄土真宗の法儀をより明らかにされたものである。≫

 さて、今月の言葉は、上の説明の中で示されています「極楽無為涅槃界(ごくらくむいねはんがい)」という善導大師(613〜681・中国浄土教の大成者)の『法事讃』に出されている一文を解釈された最後に示されている言葉です。

 親鸞さまの解説をいただきますと、極楽というのは安楽浄土であり、無為(=絶対に変わることのない真実)ともいう。涅槃界は無明の迷いを転じて悟りを開いた世界である。涅槃というのは滅度・無為・安楽・常楽・実相などともいい、また仏性ともいう。仏性は如来である。
と、示して下さいます。(実際親鸞さまの解釈はもっと詳しく書いて下さってあります)

 その如来さまとそのはたらきを詳しくお示し下さった最後に、今月の言葉「阿弥陀如来は光明なり、光明は智慧のかたちなり」と申されています。

 親鸞さまのお言葉(お示し)を伺いながら、思いますことは、阿弥陀仏は光の仏さまであり、その光は迷い苦しみ(煩悩)の闇の中にいる私どもを照らしその闇を破るもので、私たちがどんな所にいようともあらゆる障害物を突き破り照らし続ける光なのです。
 煩悩を破るのは悟り智慧です。その智慧が光となってはたらいて下さるのが阿弥陀仏なのです。
 その智慧の光で照らし続けて下さるということは、阿弥陀さまは何時でも何処でも私のことを思い続けて下さり、この私を支え続けて下さっている存在なんだということです。

 親鸞さまは“私たちは息引き取るまで煩悩を持ち続け欲や怒りなどに振り回されて生きてくものだ”とも教えて下さいます。何時どうなってしまうかわからない不安定な命をかかえながら、自分自身で煩悩を完全になくすことなど到底できない私なのです。
 迷い苦しみの中にありながら、また、多くの方々(いのち)に迷惑をかけながらしか生きていくことのできない私なのです。 だからこそ阿弥陀仏は私たちのことが放っておけないのです。

 大切に大切に私たち一人ひとりのことを思って下さる阿弥陀さまでありました。
 いつでも阿弥陀さまと一緒だと受け取ることで安心させられる私なのです。
 阿弥陀さまのはたらきを繰り返し聞かせて頂きたいものだと思います。
南無阿弥陀仏