「本願(ほんがん)をききて
疑(うたが)うこころなきを 聞(もん)というなり」
(2010年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
現在、西法寺の内陣は古い漆を削ぎ落とし新しく漆を塗るための下地を作る(と言っていいのかどうかわかりませんが)ための作業がされています。内陣の柱はおそらく本堂の創建当時のままだと思いますが、そうしますと今から340年ぐらい以前の材木ということになります。さすがに木も弱ってきているということで、漆とガソリンを混ぜた溶液を塗り十分に乾かして木を強くするのだそうです。今は木を乾燥させるためしばらく作業はお休みですが8月初旬頃から下地の窪みやへこみを埋める工程に入り、お盆の後ぐらいから本格的に漆塗りの作業がはじまるそうです。
修復工事は来年4月末の完成予定で、まだ半年以上かかりますが、長い年月を経てここまで来たことですから、時間をかけてじっくり治していただけることは本当に有り難いことだと思っています。
修復の作業を見ていますと、ゆっくりではありますが確実に進んでいきます。どんな工事でも同じだと思いますが、最終目標を達成するために計画を練り工程を決めて目標に向かって工事を進めていくことになります。つまり、目標に向かってどのように働くかということが大切になります。
さて、今月の言葉は、親鸞聖人の書かれた『一念多念証文(いちねんたねんしょうもん)』という書物に出されているものです。
「阿弥陀如来の本願を聞いて、疑うこころが無いことを、聞というのです」と示された言葉ですが、阿弥陀如来の本願とは以前からの繰り返しになりますが、阿弥陀さまの根本の願い−すべてのいのちあるものに、壊れることのない安心を与えたいという願いであります。
仏説無量寿経によれば、昔むかし、とてつもなく昔のことでありますが、阿弥陀さまは、ある国の王様でした。王様は何時も国中の人々が安心して幸せに暮らせることを願っておられたのです。その願いを達成するために王位を捨てて、世自在王仏という仏様の下で出家・修行をし菩薩となり、法蔵と名乗られました。法蔵菩薩は自らの思い(すべてのいのちあるものに安心を与える)を成し遂げるため48の願いを建てられ、長い長い間修行され、その願いが完成されたのです。
本願とは私たち一人ひとりが本当に安心できるための願いであったのです。その本願がどうしておこされ、どのようにして出来上がり、どのようにはたらいているのかを、はからいなくそのまま聞かせて頂くことが、仏の本願を聞くという意味になるのだと示されているのが今月の言葉です。
つまり、先の工事の話で言いますと、修理しないといけない現状があり、修理のために仕事をし、良い状態にするのが工事の目的です。これと同じように、私たちがいつも不安を抱えたままで苦しんでいるから、私を迷うことのない仏にするという願いが建てられたのであります。
法蔵菩薩の苦しい修業の結果その願いは完成し阿弥陀仏となられました。その阿弥陀仏が私たち一人ひとりに念仏(南無阿弥陀仏)となってはたらいておられるということを、そのまま疑いなく聞かせて頂きましょう。
南無阿弥陀仏