「信心(しんじん)の人(ひと)を 真(しん)の
仏弟子(ぶつでし)といえり」
(2010年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
記録的な猛暑から一転、朝夕は肌寒さを感じさせる頃となりました。
9月30日現在、境内の彼岸花はようやく咲き始めというところです。
彼岸花は「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」とも呼ばれています。マンジュシャゲは、インドのサンスクリット語のマンジュ―シャカの音訳(音を漢字で表す訳し方)です。少し調べてみますと、マンジュシャゲは白い花とするものと赤い花とする2つがあるようですが、この花は天が降らせる花で、この花を見る者はおのずから悪業を離れるという天界の花とされ、仏法を讃える花とされています。
西法寺には赤と白の彼岸花があります。白い花は先年前住職がどこかのお宅で咲かせておられるのを見つけ株分けしてもらったものです。お彼岸の時期になると咲く彼岸花を見て、昔から仏様のことを思われていたのだろうと想像されます。そんな先人の思いを大切にしていきたいものです。
さて今月の言葉は、親鸞聖人のお手紙『親鸞聖人御消息』の中に出されている言葉です。
この手紙は、笠間(現在の茨城県笠間市)の念仏者(阿弥陀仏のはたらき=念仏を拠り所として生きる人々)の疑問に対して答えられたものです。
極楽浄土に往生することについて、他力と自力があり、自力とは自分の力をたのみにし、自分の考えで行動・言動・意識(心)を規制して立派に振る舞うことで、浄土に往生しようと思う人のことであると示されています。
他力については、阿弥陀さまが私共のために選びとられた願い(大無量寿経に説かれている阿弥陀仏の48願)の中心である第18願の念仏往生の願(念仏のはたらきでいのちあるものすべてを極楽浄土に生まれさせていという願い)のはたらきをそのまま受け取り、おまかせすることで往生させていただくことと示されています。
そして、阿弥陀さまのはたらきについて、
「自分が悪いこと(誤ったこと)をしている者だから阿弥陀さまが往生させて下さるはずはないなどと思ってはいけません。凡夫であり煩悩具足の私ですから、もう既に誤りだらけの我が身なのです。また、私の心が良いからと言って往生するのではありません」と示して下さっています。
更に、このお手紙の中で、
「天親菩薩さま(てんじんぼさつ=紀元4〜5世紀頃、世親ともいう、大乗仏教を大きく発展させた方々の一人・七高僧の第二祖)は、阿弥陀仏は良し悪しの人をきらわず、煩悩の心をえらばず・へだてずと示された」と教えられ、
「源信さま(げんしんそうず=942〜1017恵心ともいう。『往生要集』を著し、阿弥陀仏の浄土を求めることを勧められた・七高僧の第六祖)は、阿弥陀さまは何をしている時でも、何処におってもはたらいていて下さっていることを示して下さった」教えられています。
阿弥陀さまの願いをそのままに受け取り喜ぶ心は、阿弥陀さまが私どもに対して、分けへだてのなく、何時でも何処でも照らし続けて下さっているはたらきによってこそ、与えられるものです。その心を「信心」というのです。
ですから、信心は阿弥陀さまから頂くものなのです。そして、その信心を頂いた人は阿弥陀さまのはたらきをそのまま受けている人であり、それは、お釈迦さまの教えをそのまま受け入れている人ですから「真の仏弟子」ということになるのです。
仏さまのはたらきをそのまま受けとらせて頂く身でありますからこそ、ご縁あるごとに仏法を聞かせて頂くことがさらに大切になるのでしょう。
南無阿弥陀仏