「恩(おん)を報(ほう)じ 徳(とく)を謝(しゃ)せよ」
(2010年 真宗教団連合「法語カレンダー11月のことば)
今年のような天候不順になりますと来年はどうなるのだろうと不安になります。
しかし、本当は、どんな時でも、どうなってしまうか分からないのが私たちです。そんな不安を抱え悩みをもって生きている私たちに、本当に安心できる世界があることを示し教えて下さったのが親鸞聖人という方だと思います。
さて、今月の言葉は、『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』という、親鸞さまの著書の中の言葉です。
この著書は浄土真宗の根本聖典であります『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の肝心なところを簡略して記されているものです。
少し長くなりますが、この著書の冒頭の部分から引かせて頂きます。
「それ無礙難思(むげなんじ)の光耀(こうよう)は、苦を滅し楽を証す。万行円備(まんぎょうえんび)の嘉号(かごう)は、障りを消し疑いを除く、末代の教行(きょうぎょう)、もっぱらこれを修すべし。濁世(じょくせ)の目足(もくそく)、かならずこれを勤べし。しかれば、最勝の弘誓(ぐぜい)を受行(じゅぎょう)して、穢(え)を捨て浄を欣(ねが)へ。如来の教勅(きょうちょく)を奉持(ぶじ)して、恩を報じ徳を謝せよ」(西本願寺刊「浄土真宗聖典」P.477)
私なりの解釈ですが、上の文章の意味は
「何ものにもさまたげられない阿弥陀仏の光明は、凡夫である私どもの思慮を超えた光でもあります。その光明は、私どもの苦しみをなくし、本当の安心を与えるものです。
法蔵菩薩がさとりを開くために行じられたすべての修行とその修行で得られたすべての徳を欠けるところなく、まどかにそなえたものが、阿弥陀仏の名号(南無阿弥陀仏)なのです。
この名号は、私どもが仏に成る(さとりを開く)ための障害となるものを消し去り、阿弥陀仏のはたらきに対する疑いを除くのです。
末法の世界(人間の思惑により苦しみの満ち溢れた世界)にいる者は、阿弥陀仏の光明・名号が末法を救う教えと行であるとそのまま受け取り、念仏を称えるべきです。
ですから、阿弥陀仏のすべての人々に必ず仏のさとりを開かせるという、他に比べる者のない最も優れた誓いをそのまま私自身のための誓いであると聞かせて頂き、煩悩で汚れた世界や自分自身をきらい、浄らかな仏のさとりと浄らかな仏の世界(浄土)を願うべきです。
阿弥陀仏の教え仰せになることを自分のこととして大切に持ち続け、私をさとりの仏にしようという阿弥陀仏のはたらきを喜び、そのような阿弥陀仏のお徳を大切に思いなさい。」
というような意味になります。
このように「恩を報じ徳を謝せよ」とは阿弥陀仏のはたらきをそのまま受けとらせて頂く身として、お念仏(南無阿弥陀仏)を称え、いつでも阿弥陀さまと共にあること喜び生活させて頂こうとすることが大切なのではないかと思います。
南無阿弥陀仏