「遠(とお)く宿縁(しゅくえん)を慶(よろこ)べ」
「聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙と1月のことば)
あけましておめでとうございます。
いよいよ西暦2011・平成23年の幕開けです。
京都の本山(西本願寺)では、今年の4月9日より来年の1月16日まで浄土真宗の開祖である親鸞聖人の750回大遠忌法要が勤められます(詳しくは法語カレンダーの裏表紙をご覧下さい)。
思い起こしますと、9年前のお正月の本堂でのお勤めの折、前住職(亡父)が「皆さんもう10年長生きさせていただいて一緒に親鸞様の750回忌にお参りしましょう」と挨拶していました。その父は自らの思いを遂げることなく、その年の7月に亡くなりました。人生無常のことわりを改めて思い知らされたことでした。
さて、今年のカレンダーの法語は親鸞聖人の主著、浄土真宗の根本聖典であります「教行信証(正確には顕浄土真実教行証文類)」から選らばれています。そして表題の法語は2つとも教行信証の総序(=序文)の中の言葉です。
この教行信証の意訳(意味を現代文に訳したもの)本が西本願寺より出版されていますので、その文章を紹介させていただきたいと思います。
『ああ、この大いなる本願は、いくたびか生を重ねても、あえるものではなく、まことの信心はどれだけの時を経ても得ることはできない。
思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。もしまた、このたび疑いの網におおわれたなら、もとのように果てしなく長い間迷い続けなければならないであろう。如来の本願の何とまことであることか。摂(おさ)め取ってお捨てにならないという真実の仰せである。世に超えてたぐいまれな正しい法である。
この本願のいわれを聞いて、疑いためらってはならない』
この下線の部分が2つの法語の意訳です。
この意訳でわかりますように、親鸞さまは阿弥陀如来のはたらきにであうことの難しさを語られ、その遇い難い法に私たちが遇わせていただいたことは、計り知れない過去からのご縁のたまものであり、そのような自分に育てて頂いたことを慶びなさいと申されています。
そして、後半の部分では、阿弥陀仏のはたらきを疑うことなくそのまま受け入れることをすすめられるのです。
私のことを絶対に捨てることなく裏切ることなく本当に大切にして下さるのが阿弥陀如来であると示されているのです。
『歎異抄(たんにしょう)』という有名な親鸞聖人の言行録があります。その歎異抄の後書きの部分に親鸞さまの言葉として
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、親鸞一人がためなりけり」
と示されてあります。
この言葉で、親鸞さまにとって阿弥陀さまが常に自分のことを思い続けて支え続けて下さる方であると受け取っておられることがわかります。
私たちは、絶対に私を孤独にしないはたらきと共にあることを感じる時本当の安心を得るのではないでしょうか。
標記の2つの言葉は、私の存在の有り難さと、その私が安心を得る道を示して下さったものです。その道をより深めるためにも、阿弥陀さまのはたらきを繰り返し聞かせて頂くことが大切なのです。
まのはたらきをこれからもよくよく聞かせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏