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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2011年2月の法話
    「遇(あ)いがたくして いま遇(あ)うことを得(え)たり」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」2月のことば)
 昨年の秋から天気予報で「この冬は厳しい寒波が来ます」と予測されていました。その予想通りの寒波に日本列島は襲われ、日本海側では大雪の影響で大きな被害が出ています。
 当地(大阪府柏原市)で生まれ育った私は、子供の頃は雪が降ってくると嬉しくてたまりませんでした。雪国の景色を写真なんかで見ると羨ましく思ったものでした。今でも雪が降ってくると何となく楽しい気分になります。
 現在は雪の多い地方の方々のご苦労をニュースなどで知らされ、よく解っているつもりです。しかしながら、その苦しみが自分のものとして受け入れ感じることができないというのが恥ずかしながら本当のところです。

 『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏が何故この世界に出られたのかという事について次のように説かれてあります。
  「如来、無蓋(むがい)の大悲をもって三界(さんがい)を矜哀(こうあい)したまう。世に出興するゆえは、道教を光闡(こうせん)して、群萌(ぐんもう)を拯(すく)い恵(めぐむ)に真実の利をもってせんと欲(おぼ)してなり」
 《如来はこの上ない慈悲の心で、迷いの世界をお哀(あわ)れみになる。世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである》【浄土三部経現代語版=本願寺刊より】

 このように、阿弥陀如来は、私たち一人ひとりを本当の意味で救いたいと、はたらいておられる方であると知らされます。ですから、阿弥陀さまは、私たち一人ひとりのすべてを見抜き分かって下さる方であるということです。ですから一人ひとりの苦悩を背負って下さる方であるということもできるのです。

 さて、2月のカレンダーの法語も根本聖典であります「教行信証(顕浄土真実教行証文類)」の総序(序文)の中の言葉です。

 先月も引用しましたが、教行信証の意訳の文章を紹介させていただきたいと思います。

 『ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。そしてこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如来の恩徳の深いことを明らかに知った。そこで、聞かせていただいたところをよろこび、得させていただいたところをたたえるのである。』
  上の下線の部分が今月の法語です。

 この意訳でわかりますように、親鸞さまは、阿弥陀如来のはたらきを伝えて下さる釈尊の教え(経典)その教えを解説された龍樹菩薩や天親菩薩の教え、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・源空(法然)聖人の解釈に縁あって出遇うことができた喜びが表現されているのだと思います。

 9歳で得度し、比叡山で20年間修業しても、求めているものを得ることができず、山を降り法然聖人との出遇いによって本当の安心を得ることができたことの喜び、この喜びを得られたのも、お釈迦さま以来色々な方々によって伝えられてきたからこそであり、たまたま、うまく条件が重なりあって、本当なら、なかなか遇うことができないこの阿弥陀仏の教えにあうことができたとお示しになっているのです。

 私自身も縁あって、この世に生を受け、ここまで数限りないはたらきを頂いている身であります。そんな私を本当に安心させる阿弥陀さまのはたらきをこれからもよくよく聞かせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏