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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2011年3月の法話
  「帰命(きみょう)は 
     本願(ほんがん)招喚(しょうかん)の勅命(ちょくめい)なり」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」3月のことば)
 今冬は寒い日が多く、珍しく2月に2度も雪が積もりました。特に2月11日は早朝からの大雪で、午前7時頃にはあたり一面の雪化粧で、久しぶりの白銀の世界に少し胸が踊りました。

 雪は昼過ぎに止み夕方には晴れ間も出てきました。この日は祝日でしたので、雪投げをする子供たちや親子の姿、色々な雪ダルマを町のあちこちで見ることができました。雪が降り積もったことで今までとは違った、人と人のつながり、親子の関係が生まれたかも知れません。

 ところで、雪についてこのような言い方をしますと「雪」はいいものだということになります。しかし、特に今冬は、多くの積雪で事故が多発していますし、日本海側の自治体では積雪対策の費用が予算オーバーで困惑しておられている所もあると聞いております。

 降雪は自然現象ですから、雪自体が悪くも善くもない筈です。しかし人間生活に及ぼす影響で、善くもなったり悪くもなったりします。それは「害虫」と呼ばれる虫たちも同じことです。人間生活に悪影響をもたらす虫だということで「害」の名が付されることになります。

 つまり、人間の都合で自然のものは善くなったり悪く言われたりすることが多いのではないでしょうか。私たちは自分の都合で価値判断をし、ものの善悪を決めていることが多いと思います。

 仏さまということについても「この仏は私にとってどんな価値あるものをもたらしてくれるか」ということで拝むべきかどうかを判断している方が多いと思います。ですから、こっちの仏さんは何々に効く、あそこの仏さんは何々に効くというような言葉が出てくるのです。

 さて、3月の法語は「教行信証(正確には顕浄土真実教行証文類)」の行巻の中の言葉です。
 本願寺から出されています教行信証(現代語版)の文章を紹介させていただきます。
 『帰命とは、わたしを招き、喚(よ)び続けておられる如来の本願の仰せである』
 この言葉の出されている個所は「南無阿弥陀仏」の「南無(なも)」ということについて、説かれたところです。

 南無という言葉の意味は「帰命」ということであり、帰命の「帰」の字の意味と「命」の字の意味について詳しく示されてから上記の今月の言葉を示されています。
 「南無阿弥陀仏」とは「阿弥陀仏に南無(帰命)する」ということですが、その「南無」は、阿弥陀さまが私に絶対の安心を与えたいという願いを建てられその願いが完成しているから、阿弥陀にまかせておくれと私に対して喚びかけ続けて下さっているということなのです。

 ここで親鸞聖人は「勅命」という言葉を使っておられます。「勅命」とは逆らうことのできない命令ということです。私の意思に関係なく従わなければならない命令ということです。

 親鸞さまにしてみれば「阿弥陀さまは私のすべてを知り尽くして5劫(1劫の5倍)の間、考えに考え抜いて私に本当の安心を与えるために願いを建てられた、そしてその願いを完成させるため長い長い間修業され悟りを開かれたのが「阿弥陀仏」、その阿弥陀さまのはたらきに私の方から何かを付け足すことなどあるはずもない。だからこそ、凡夫の私の間違いだらけの価値判断など何の必要もない。私の生死を超えて本当に安心できるものを得ていく道は、阿弥陀さまにおまかせする以外にない」とお示し下さっているのだと思います。
南無阿弥陀仏