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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2011年6月の法話
 「他力(たりき)というは 如来(にょらい)の本願力(ほんがんりき)なり」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」6月のことば)
 今年は矢張り異常気象なのでしょうか。大阪は5月26日に梅雨入り宣言が出され、今日6月1日は最高気温が19度ということです。6月に最高気温が20度を下回ることは9年ぶりだそうです。6月1日は衣替えですが、とても寒くてそんな気分にはならない一日でした。
 ところで「異常」という表現(言葉)を私たちは結構使っているのではないでしょうか。何か少し普通と違っていると思ったら「異常」と言っているような気がします。
 「異常」とは「普通とはちがうこと。また、理想的な状態や好ましい状態よりも劣っていること」と『広辞苑』に示されています。そして、「普通」については「@広く一般に通ずること。Aどこにでも見受けるようなものであること。なみ。」(広辞苑)と示されています。

 そうしますと、異常と言うのは、広く一般に通じない物事や状態のことを言うわけですが、私などは「イジョ―」と聞きますと、普通とは全く違った悪いものと思ってしまうのです。言葉に対するイメージは一度持ってしまうとなかなか抜けません。ですから「異常」と聞いても本当にそうなのかどうか確かめ直すことが大切なのだと思います。言葉にとらわれることで自らを縛りつけていることもあるかもしれません。

 今月の言葉の「他力」ということでも、仏教に縁のない方が一般的に持たれているイメージと、親鸞さまや蓮如さまが使われている意味とは大きな違いがあります。
 『広辞苑』には「【仏】他人の助力。仏・菩薩の加被・加護を指す。浄土門において弥陀の本願の力をいう」と示されていますが、「他力」と言えば普通は他人の力という理解がほとんどではないかと思います。特に、「他力本願」という言葉は完全に他人の力をあて頼りにすることで、他人任せという意味で使われていることが多いと思います。

 作家の五木寛之さんには『他力』という著書がありますが、その表紙カバーに著者の言葉が書かれてあります。
 <他力>と書いて、<タリキ>と読みます。よく<他力本願>などと容易に使われますが、じつはこの<他力>は、出口なき闇の時代にきらりと光る、日本史上もっとも深い思想であり、すさまじいパワーを秘めた<生きる力>です。
 もはや現在は個人の<自力>で脱出できるときではありません。 
法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなす<他力>こそ、これまでの宗教の常識を超え、私たちの乾いた心を劇的に活性化する<魂のエネルギー>です。この真の<他力>に触れたとき、人は自己と外界が一変して見えることに衝撃をうけることでしょう。

 他力を五木さんは「魂のエネルギー」と申されています。なるほど、そういう捉え方もあるのかと思います。
 今月の言葉は『教行信証』の行の巻に出されている言葉ですが、親鸞さまは、他力とは阿弥陀如来の本願のはたらきだと申されています。
 阿弥陀さまの根本の願い=いのちあるものすべてに本当の安心を与えたい=を成就するために長い長い間修行して得られた功徳のはたらきが他力というものなのです。

 五木さん流に言うと、阿弥陀さまのエネルギーということになりますでしょうか。そのエネルギーがすべての人々の心を潤すためにはたらき続けているという見方をしますと、どんないのちも阿弥陀さまの願いの中、はたらきの中と受け取れます。つまり、自他の対立を超えた世界が私の目の前に広がるということではないでしょうか。
 そういう意味で、阿弥陀さまのみ教えを繰り返し聞かせて頂くことが大切なのです。
南無阿弥陀仏