「真理(しんり)の一言(いちごん)は 悪業(あくごう)を転(てん)じて
善業(ぜんごう)と成(な)す」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
8月と言えば「お盆」と、最初に頭に浮かんでくるのは職業柄でしょうか?
ところで、30年ほど前になりますが、あるご門徒さんのお宅の月忌参りの時に、そのお宅の奥さんが「お盆は、地獄の釜の蓋が開いて死んだ人が帰ってくるのですね」と聞かれたことがありました。
当時の私はそんなことを聞いたことがなかったので、びっくりしてしまいました。
「ええっ!そうなんですか?私今初めて聞きました。地獄の釜の蓋が開いて帰ってこられるということは、亡き方は地獄に落ちておられるということになりますね?」と私が言いますと
「そうですね。そうするとうちの子供も地獄に落ちていることになりますね。それは辛いですね」
「浄土真宗はあんまりお盆・お盆とは言いません。それは、お盆の時だけ死んだ人が帰ってくるという教えではないからです。
亡き方は阿弥陀さまに抱かれて阿弥陀さまの国(=極楽浄土)に生まれられ、阿弥陀さまのはたらきで仏の悟りを開かれて仏さまに成って(成仏して)おられるから、何時でもどこでも阿弥陀さまと一緒に私達のことを支え見守りはたらいて下さっていると受け取っています。ですから、亡き方がお盆の三日間だけ帰ってこられるとは考えてませんし、地獄に落ちておられるとも考えていないのです。」
「では、どうしてお盆参りをされるのですか?」
「浄土真宗のお勤めは阿弥陀さまの徳を讃え、阿弥陀さまに御礼を言うという意味です。それがそのまま、今は仏さまとなってはたらいて下さっている亡き方々の徳を讃え御礼を言うことになります。
お盆という習慣を縁にしてお参りをすることで、その思いを更に深める機会を増やすという意味でのお盆参りということになります。
亡き息子さんも仏さまとなってはたらいて下さっていると受け止めたいですね。」
「なるほど、そういうことだったんですか」
というようなお話をさせて頂いたことがありました。
亡き方々(ご先祖)を仏さまと仰いでゆくことができるのは、私達自身が、自分が仏の悟りを開かせて頂く、極楽浄土に往生させて頂くという阿弥陀さまのはたらきをそのまま受け入れさせて頂くことによります。
自分自身が阿弥陀さまのはたらきを喜ばせて頂く身に成ってこそ、亡き方が仏さまに成っておられることを喜ぶことができるのではないでしょうか。だからこそ、聞法=仏さまの教えを聞かせて頂くことが大切だと浄土真宗では強調されるのです。
さて、今月の言葉は、教行信証の行巻の中に『楽邦文類(らくほうもんるい)』から引用された一文です。
『楽邦文類』という書物については4月の法話の中でも少し説明しましたが、楽邦(=西法極楽浄土)に関する経論の要文を集めた書物です。
今月の言葉の「真理の一言」とは、「真実の道理である阿弥陀如来の名号=南無阿弥陀仏」ということです。その名号のはたらきは、悪い行いの罪を転じてよい行いの功徳とするというものです。
阿弥陀さまのはたらきを聞かせて頂くことで、自分自身の至らなさや、いつの間にか意識するしないにかかわらず多くの「いのち」を奪い傷つけて生きてきた自分に気づかされます。それが悪業(悪い行いの罪)です。悪業を持っていては悟りを開くことはできません。
南無阿弥陀仏の名号には、阿弥陀さまの悟りの智慧がすべておさまっているのです。ですからその名号のはたらきによって、悪業を転じて善業と成して下さり、悪多く障り多い私どもが必ず仏のさとりを開かせていただけるのです。
そのような名号のはたらきを縁あるごとに聞かせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏