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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2011年9月の法話
  「 如来(にょらい) 一切(いっさい)のために 
           つねに慈(じ)父母(ふぼ)と なりたまえり 」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー9月のことば)
 ツクツクボ−シ、ツクツクボ−シという声が聞こえはじめると、そろそろ夏も終わりという気持ちになります。

 私たちにとって「その気になる」ということは大切なことだと思います。例えば、病気。その病気を治すということでも、自分が治るんだ、治すんだ、という気持ちがなければだめだと言われるお医者さんがおられます。確かに自分が初めから諦めてしまっていては、いくら治療をし、薬を飲んでも、病気も治らないだろうと思います。

 仏さまの世界でも同じことが言えるのではないかと思います。仏さまが本当にいるのか。極楽浄土や地獄があるのか。そういうことをいくら議論してもあまり意味がないことのように思います。
 それよりも、お釈迦さまが説かれた仏さまの世界、親鸞さまが教えて下さった阿弥陀さまのはたらきをそのまま受け取りたいと思います。なぜなら、私は、阿弥陀さまに手を合せ、お念仏(南無阿弥陀仏)を称えることで、なんとなく安心できるからです。そんなふうに自分自身が安心できる場を持っていることが生きていく上でとても大切なことだと思います。つまり、仏さまがいつでも何処でも私と一緒にいて下さるという気持ちになることで安心の世界が広がるのではないでしょうか。
 今月の言葉は、そういう如来さまのはたらきを表した言葉と言えるでしょう。

 この言葉は教行信証の信巻の中に『涅槃経(ねはんぎょう)』から引用された一文です。
 『涅槃経』というお経は詳しくは『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』といいます。涅槃経は、お釈迦さま入滅直前の説法とされるもので、如来さまは永遠不変の身をもっておられること《如来常住》や、すべての衆生が仏になる可能性を持っている《悉有仏性(しつうぶっしょう)》ということなどが説かれています。親鸞聖人は教行信証に涅槃経を多く引用して浄土真宗の教えを明らかにされています。

 さて、今月の言葉に戻りますが、教行信証には次のように書かれています。(浄土真宗聖典 註釈版288ページと現代語版298ページ)
 『如来 一切のために つねに慈父母となりたまへり。 まさに知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。(如来はすべての人々のために常に慈悲の父母となってくださる。あらゆる人々はみな如来の子なのである)』

 つまり、如来さまは私たち一人ひとりのために存在して下さると受け止めていいのではないかと思われます。苦悩する私が居るから如来さまがおられるのです。如来とはそういう存在であります。ここで言われる如来はお釈迦さまのことです。
 そのお釈迦さまが、私どもにお説き下さった「仏説無量寿経」で、阿弥陀さまが、私達の姿を見通してはたらき続けておられることをお示し下さいました。
 そのはたらきを共に喜ばせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏