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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2011年11月の法話
  「心(こころ)を弘(ぐ)誓(ぜい)の仏(ぶつ)地(じ)に樹(た)て
   念(おもい)を難(なん)思(じ)の法(ほう)海(かい)に流(なが)す」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」11月のことば)
 昨年は本堂内陣修復ため「報恩講」をお勤めすることが出来ませんでした。
 2年ぶりの報恩講を10月28・29日にお勤めさせて頂き、30日にはお子さんの「初参り」「子ども報恩講」と開催させて頂くことができました。
 今、改めて、こうした行事を催すことができることの「有り難さ」を感じております。

 「報恩講」とは、阿弥陀如来のおはたらきを喜び、その阿弥陀さまのことをはっきりと私たちにお示し下さった浄土真宗の開祖親鸞聖人のお徳を讃え、そのご恩を喜ばせて頂く、言わば「ご恩報謝の集い」なのです。
 報恩講は、本願寺第3代、覚如上人(1270〜1351)が始められ、真宗寺院の年中行事で最も大切なものと言えます。
 私は子どものころ、親たちが毎年10月半ばころに「ホンコ」「ホンコ」と慌しく動き回っていたのを思い出します。ですから私なりには「ほうおんこう(報恩講)」ではなく「ホンコ」と思い込んでいました。それが報恩講であると実際に分かったのは大学生になってからかと思います。
 生まれたときから、お寺で育ちながらずいぶん長くかかったものだと思います

 今年の報恩講にお参りして下さったご門徒さんが、ある「本」のことを話して下さいました。それは、今から17年前に出された『ひろきちかいにあいて』という法話集のことでした。
 その当時「教行信証」の勉強会(「四法会」という名前です)を奈良県郡山市の三木照國先生のお寺で毎月1回開催して頂いておりました。その会の発会10年を記念して、参加者で法話集を出そうということになり、三木先生と受講者9名で執筆したのがこの法話集です。私はこの法話集をご門徒に配らせて頂きました(当時西法寺の法話会に来て下さっていた方々だけですが)。
 報恩講さんにお参り下さり法話集のことを話して下さったご門徒さんは「亡き母の荷物を整理していたら出てきたので、この頃寝る前に読ましてもらってます」と言って下さったのです。お恥ずかしいことですが、私自身、もう17年も前のことで殆ど忘れていたのが現状でした。しかし、これもまた「ご縁」だなと思います。こんなご縁があって、法話集を読み返すことができました。

 私は、この法話集に自分が何を書いたのかすら忘れていました。今、改めて読み返してみて、芥川龍之介さんの『蜘蛛の糸』のお話を題材にさせて頂き、阿弥陀さまの救いについて書かせて頂いたことを思い出しました。
 蜘蛛の糸では、主人公のカンダタは、自分だけが助かりたいために他の人々を蹴落としたことで、頼みの糸が切れカンダタ自身も又地獄に逆戻りさせられることになります。
 このお話は、蜘蛛の糸という地獄の苦しみから自分を救う一条の糸を掴み自分の力でひたすら登っていくことで自分が助かるという構図になっています。そうしますと自分が助かるために他人はどうなってもよいという心を持っていたり、自分自身が力尽きたときには助からないことになります。

 ところが、親鸞聖人は私たちは煩悩にまみれ他人のことを思いやることより自分の都合でしかものを考えることができない者であると示されます。そして病気になったり、怪我をしたり、思いがけず事故にあったりして死ぬことさえあるのが私たちの本当の姿です。

 阿弥陀さまはそんな私たちをそのまま抱き救うのだとはたらいておられます。
 今月の言葉は「教行信証」の最後の方に出されている言葉です。
 阿弥陀仏に何時も包まれている私ですから
「阿弥陀仏のはたらきにであった者は、心を阿弥陀さまの根本の願い(本願=弘誓)の大地に、しっかり根をはらせ、自分自身の思いをすべて引き受けて下さる不思議な大きな海に流すことができる」と示されているのです。
 ご本願のはたらきは、間違いだらけのこの私であっても、何時も私たち一人ひとりを絶対に捨てることなく包み込み大切にして下さるのです。
南無阿弥陀仏