「前(さき)に生(う)まれんものは 後(のち)を導(みちび)き
後(のち)に生(う)まれんひとは 前(さき)を訪(とぶら)え」
(2011年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
毎年この頃になると、挨拶の言葉の中に「1年経つの速いですなあ」というのが、付け加えられます。私の場合、お参りに行った先々で、時の流れの速さを話題にすることが多くなる12月ともいえます。
時の流れは、止めることができません。何もしなくても時間は経っていきます。
お釈迦さまは私たちに「諸行無常(しょぎょうむじょう)」ということを教えて下さいました。「諸行無常」とは「すべてのものは常に移り変わっている」ということです。この世のものはすべて刻々に変化し続けています。私達自身も常に変わっているはずです。
例えば、私は今57歳ですが、日頃の運動不足のせいか少し急な坂道や長めの階段を登ったりしますと結構息切れがします。10年前ならそんなことはなかったのにと思うのですが、この身は変化し少しずつ衰えてきているのです。それが私の現実なのですが、実際には、以前の自分と同じだという気持ちが心のどこかにあります。体も少しずつ変化し衰えていくのは当然だと、口では言いながら、本当はそうは思いたくない私が居ます。
我が身は、諸行無常と教えられても、それをそのまま自分自身の身に引き受けることはなかなか難しいことだと思います。いかに正しい教えであっても、それをそのまま受け入れ教えの通りに生きることは誠に困難なことです。
さて、12月の言葉は親鸞聖人の書かれた「教行信証」の終わりの部分に
「安楽集(あんらくしゅう)」という中国に出られた道綽禅師(562〜645)の著書からの引用された言葉です。
本願寺から出版されている「教行信証現代語版」には
『真実の言葉を集めて往生(おうじょう)の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々がのこらずすくわれるためである』
下線を引いたところが今月の言葉に当たるところです。
この今月の言葉の部分だけですと、「先に生まれた人は後に生まれた人を導いて教え、後に生まれた人は先に生まれた人に教えを受けなさい」という人生訓だけと受け取りそうです。
しかし、この安楽集の一文を引用される前には親鸞さま自身の言葉で、
「この書を読むものは、信順すればそれが因となり、疑い謗ってもそれが縁となり、本願のはたらきによって真実の信を得、浄土においてすぐれたさとりを得るであろう」(現代語版)
と申されています。そして、この一文の後に先ほどの安楽集の引用文が続けられています。
このようなことから、親鸞さまは、教行信証を結ぶにあたって、私達が仏の悟りを開くための道を示して下さり、その道(教え)が子子孫孫まで伝わってほしいということを表明されていると受け取ることができると思います。
更に、人々が本当に安心して生きることのできることを望まれていたことも窺い知らされるのです。
ですから、今月の言葉は、
教えを聞かされてもその通りに生きることができない煩悩に縛られた私であっても、多くの阿弥陀さまの真実を教えて下さる言葉を聞かせて頂いた者は、そのことを人々に伝えていってほしい。そして阿弥陀さまのはたらきを喜ぶ多くの先輩の歩かれた道をたずねてほしい。
と、味あわさせて頂きます。
そこに、私のありようが問われ、私の歩くべき道が示されているのです。
南無阿弥陀仏