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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2012年10月の法話
  「信心(しんじん)よろこぶ そのひとを
           如来(にょらい)とひとしと ときたもう」
(2012年 真宗教団連合「法語カレンダー10月のことば)
 今年の中秋の名月は9月30日でしたが、台風の影響でとても見ることはできませんでした。しかし、日付が変わるころには、雲が切れ綺麗な満月が中空に輝いていました。
 月は太陽の光を反射して輝いているということは、現代では誰でも知っています。しかし、自分の目で見ているかぎり反射しているとは思えません。月自体が光を放っているとしか私には見えないのです。

 もう随分以前のお話ですが、奈良の薬師寺の管長をされていた高田好胤さんの師匠の橋本凝胤さんは、地動説ではなく天動説を説き週刊朝日の誌上で徳川無声さんと激論を交わしたそうです。
 地動説は現在の常識になっています。ですから「天動説は間違いです」と私たちは考えています。私達は子どもの頃から、地球は太陽のまわりを回り、自転もしていると教えられてきました。でも自分の目に見える太陽は東から昇り西に沈んでいくのです。つまり、止まっているのは私で、動いているのが太陽なのです。それが自分の見ている正直なところです。

 橋本凝胤さんのお話は「科学万能主義に振り回されて、あるがままにものを見ることができなくなっている」私達に対する警鐘だったのではないでしょうか。

 ところで、あるがままにものを見るということは、今の私にとって非常に難しい思いがします。例えば、自分自身を今あるがままに見ることができるでしょうか。まずは体、自分の体の隅々まで自分で分かっているでしょうか。そして、自分の心の奥底まですべてを見通す眼を持っているでしょうか。答えは否です。自分のことはよく分からないのです。表面的なことでも自分の背中は自分の眼で見ることはできません。

 如来という方は、すべてを見通す眼を持っておられるのです。ですから、私のことは、何もかもすべてお見通しです。
 阿弥陀如来は私達一人ひとりのすべてを見通した上で「あなたのことを放っておくことはできない。本当の安心を与えずにはおかない」とはたらいて下さっています。

 今月の言葉は、親鸞聖人の詠まれたご和讃(浄土和讃)
   『信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたもう
      大信心は仏性(ぶっしょう)なり   仏性すなはち如来なり』
の一節です。

 親鸞さまは『華厳経(けごんぎょう)』のお示しから“信心を頂き、仏の教えを喜ぶ人は如来と等しい”と申されています。どうしてかといえば、『涅槃経(ねはんぎょう)』に、信心の中には「仏の悟りを開く因(仏性)」が欠けることなく備わっていて、浄土に生まれれば「その因(仏性)」がそのまま仏(如来)と成って実を結ぶのであるから「仏性すなわち如来」と示されるのです。

 浄土真宗でいう「信心」は、阿弥陀如来のはたらき・こころをそのまま素直に受け取ることを言います。信心は如来さまから頂くものなのです。
 その信心・阿弥陀さまのこころとはたらきを喜ばせて頂くのは、阿弥陀さまのはたらきを繰り返し聞かせて頂くことによります。
南無阿弥陀仏