「 人間とは その知恵ゆえに まことに 深い闇を生きている 」
(2013年 真宗教団連合「法語カレンダー2月のことば)
2月の言葉は、作家の高史明(コ・サミョン)さんの言葉です。
カレンダーの法語について本願寺から法話集『月々のことば』が出版されていますので、その文章を引かせて頂きます。
【 高さんの独り子の息子さんは12歳の春を迎えた時、自らこの世を去られます。
高さんは、この最愛の子の自死に出遭って目の前が真っ暗になられました。息子さんが鋭い視線で多くの詩を書き残していたことを知って、それまで息子のことを何も知らずにいたことにがっくりされました。中学生となった息子さんに「これからは、何事も自分で責任を持って歩んでゆくことだ」と、激励のつもりで語りかけられた、その直後の自死でした。
ご自身が、何も本当のことをわかっていない「無明(むみょう)」のなかにある、わが子も「無明」のなかにある、ともに深い暗黒の淵に落ち込んでいるという思いでおられました。そのような時に『歎異抄』と真剣に対面するようになり、『歎異抄』の声が聞こえてきたと言われます。】
引用が長くなりましたが、高さんは、息子さんの自死を通して、わが子のことを知らず理解できずにいた自分、本当のことを何もわかっていなかった自分の姿に気付かれ、闇の中にいると示して下さるのです。
「闇」という字は「門がまえ」の中に「音」と書きます。そのことから「闇(やみ)」とは、ただ暗いというだけでなく、音がない状態であると聞かせて頂いたことがあります。
暗くて何も見えない、音も聞こえない状態ですから、自分の姿も自分のいる場所もわからないのが闇の中なのでしょう。闇の中に居ることすら気がつかないのが私たちなのかもしれません。闇の中に自分がいるとわかっていますと恐ろしい気分になりますから、何とか脱出しようとするのですが、闇の中に居ることすらわからなかったら抜け出そうという気もないのです。
闇とは暗いものです。ところが、私達が迷い込んでいる闇は明るいし音も良く聞こえるのです。それは「闇」とは言わないのだよという声が聞こえてきそうです。
しかし、自分の持つ知識だけを頼りにしているのが人間だとしますと、周りの景色も周りからの声も自分の都合のよい方に受け取ってしまうのが人間ではないでしょうか。そこには、自分の本当の姿を見ることのできない人間の存在があります。それが「闇」なのです。
今月の言葉は、人間が、自分が持つ知恵や知識だけを頼りにして生きいくことにより、人間の本当の姿に気付かないのであるということを示して下さった言葉だと思います。
『正象末和讃』の最後に
「よしあしの文字をも知らぬ人はみな まことの心なりけるを
善悪の字知り顔は おおそらごとのかたちなり」
と、親鸞さまは詠まれています。
自分の殻に閉じこもり生きている私に、闇を気付かせ、闇を破るはたらきが念仏なのです。ですから、そのはたらきを縁あるごとに聞かせて頂くことが大切になります。
南無阿弥陀仏