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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2013年6月の法話
    「仏智(ぶっち)に照らされて
           初めて  愚鈍(ぐどん)の身と知らされる」
(2013年 真宗教団連合「法語カレンダー」6月のことば)
 今月の法語は、真宗大谷派の僧侶を養成する「大谷専修学院」という全寮制の学校が京都市岡崎にあります。その学院の院長を長期にわたり勤められていました、信國淳先生(1904年〜1980年)の言葉です。
 30年程前に、信國先生の『いのちは誰のものかー呼応の教育―』(柏樹社1980年刊)という本(講義録)を買い求め少し読ませて頂いたことがありました。6月のカレンダーに信國先生の名前を見つけ、懐かしくなりました。
その本の中で、今でも覚えている言葉があります。

 この本の中に所収された「いのちは誰のものか」と題された一文に、少年時代のお釈迦さまと従弟の提婆(だいば=ダイバダッタ)との逸話が紹介されています。
 ある日、お釈迦さまと提婆が森へ遊びに行き、提婆が森の上を悠々飛んでいる白鳥を見つけ、早速持っていた弓に矢をつがえ、放つと、白鳥に当たり、森の彼方に落ちていったのです。2人の少年はいっせいに駆け出します。ところが、お釈迦さまの方が、提婆より早く、傷ついて喘いでいる白鳥を見つけ出し抱き上げた時に提婆が現われ、先に見つけた者のものか?射落とした者のものか?で、2人が争ったのです。結局のところ2人だけで結論が出ず、国中の賢者を集めて、どちらのものかを決めてもらうことになったのです。

 こうして国中の賢者が集められたのですが、お釈迦様のものだ、提婆のものだと、意見が分かれまとまらなくなったのです。その時今まで黙っていた年老いた賢者が立ちあがってこう言いました。
 『いのちはそれを愛そう愛そうとする者のものであって、それを傷つけよう傷つけようとしている者のものではない』

 こう言い切った賢者の言葉が、あまりにも厳粛な調子を帯びていたので、自然にその賢者のことばに従わずにはおれない空気が生まれました。こうして自然に傷ついた白鳥はお釈迦さまの手に帰ることになったというお話です。

 信國先生は、このお話の中に出てくる・お釈迦さま・提婆さんは、私の相(すがた)であると示されています。先生は二重の自己と表現されていますが、いのちを傷つける提婆の要素が非常に強いのが人間であると言われるのです。人間が、自分を確立していくのは、他人との対立的関係の上で成り立っていると申されています。つまりその対立が他の人を傷つけることになるからです。

 さて、今月の言葉は、そのような自分自身の相(すがた)は、自分以外の自分を全部照らし出すはたらきによってしか見えてこないことを教えて下さっています。
 自分以外のいのちを傷つけてしか生きていくことのできない愚鈍な私であります。しかしそう教えられても、それをそのまま受け入れることのできない私でもあります。
 だからこそ、阿弥陀さまは私たち一つひとついのちを絶対に捨てることができないのです。
 そのはたらきを聞き続けさせて頂くことの大切さを思うことです。
南無阿弥陀仏