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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2013年11月の法話
「 忘れても  慈悲に照らされ  南無阿弥陀仏 」
(2013年 真宗教団連合「法語カレンダー」11月のことば)
今月の言葉は、妙好人と呼ばれる「浅原才一」さんの言葉です。
 妙好人(みょうこうにん)と申しますのは、浄土真宗の教えを聞いて、自分自身の本当の姿に目覚め、阿弥陀さまのはたらきをそのまま頂き、受け止めて、自在に生きる姿を示して下さった方々です。

 浅原才一さんは、嘉永3(1850)年に島根県温泉津町(現在の大田市)小浜で生まれられ、18歳頃から浄土真宗の説教を聞いておられたようです。その後,いく度か聞法されるのを止められた時期もあったようですが、博打で警察に逮捕されてからは、一層聞法に励まれ、信心を深めていったといわれています。
 若い頃は船大工として働き、55歳頃から下駄作りの職人となって生計をたてておられました。64歳頃から、浄土真宗のおみのりの味わいを自ら「口あい」と呼ぶ詩にして、仕事中に湧き上がってきた悦びの言葉を、下駄作りで出たカンナ屑などに書き留め、夜になってからノートに書き写されていたようです。
 そして、昭和7(1932)年にお浄土に往生されるまでの約20年間に、6000首もの法悦の詩を残しておられます。

 今月の言葉の意味は、
 自分自身が阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)のことを忘れていても、阿弥陀さまは、絶対に私の事を忘れることなく、何時も私の事を思いやり、私の身をそのまま背負うという慈悲の心で、はたらき(照らし)続けて下さっている。そんな、阿弥陀さまのはたらきをよろこんで、南無阿弥陀仏を称える私(才一)です。ということを、表現された言葉だと思います。
 そして、その悦びの言葉「南無阿弥陀仏」が、阿弥陀さまのはたらきによって、口から出たものであり、何時も阿弥陀さまがはたらいていて下さる証しであると教えて下さっているのだと思います。

 ここで才一さんの念仏詩を少し紹介させて頂きます。
      (『大乗仏典 中国・日本篇28妙好人』中央公論刊より引用)
            文字を変えているところがあります

     こんな煩悩さんよい
     お前のおかげで  わしゃの
     如来さんに 如来さんにしてもらうよ
     こんな煩悩さんよ

     平生に臨終すんで 葬式すんで
     わたしゃあなたをまつばかり

     あなたのこころ わしになり
     おのずと知られる なむあみだぶつ

     あなたこころが わしのこころになって
     念仏もうす
     うれしや なむあみだぶつ

 忘れ通しの私の事を、忘れることなくはたらいてくださるお慈悲の中に今いる私達です。才一さんは阿弥陀さまが常に自分と一緒にいてはたらいて下さっているからこそ、今を安心して生きていけるのだとお示し下さっているだと思います。
  縁あるごとに阿弥陀さまはたらきを聞かせて頂きましょう。
南無阿弥陀仏