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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2013年12月の法話
     「念仏者(ねんぶつしゃ)とは
              一切衆生(いっさいしゅじょう)を 
     『御同朋(おんどうぼう)』として         
                    見出していく存在」
(2013年 真宗教団連合「法語カレンダー」12月のことば)
月の言葉を読み、改めて、それぞれの言葉の意味するところを考え直してみなければと思ったことです。
 「念仏(ねんぶつ)」一つをとってみても、『浄土真宗辞典(本願寺出版社刊)』には
  仏を念ずること。真如を念ずる実相の念仏、仏の相好を心に思い観る観想の
  念仏、仏像を観ずる観像の念仏、仏の名号を称える称名念仏などがある。聖
  道門(しょうどうもん)では、実相念仏を最勝とし、称名念仏を最劣とみる。これ
  に対して、浄土門では、称名念仏を極善最上の法とする。法然は、善導の本
  願観を継承し、称名念仏は阿弥陀仏が第十八願において往生行として選びと
  った行であるとした。
    ……(中略)…… 親鸞は、法然の説く称名念仏が真実信心にそなわった
  他力の念仏であり、本願力回向の行とした。
    ……(以下略)……
と、示されてあります。

 ここに示されますように、念仏ということについても宗旨によって、そのとらえ方が違うことがわかります。
 そして、私たちの口にしている念仏は、阿弥陀仏のはたらきによって与えられた念仏であるということです。自分の思いでする称名念仏でありますが、それは、阿弥陀さまのはたらきで、念仏させて頂いていると受け取ることです。ですから、私たち浄土真宗の先輩は「念仏する」とはあまり申されずに「お念仏させて頂く」「お念仏をよろこぶ」等という表現をされて来ました。
 そして、この念仏(南無阿弥陀仏)には、阿弥陀さまの悟りの智慧がすべておさまっていると示され「阿弥陀さまが声の仏さまになって下さった」とお教え頂いたこともあります。
  そのような「お念仏」を喜ぶ者が「念仏者」です。

 阿弥陀さまは、『大無量寿経』のなかで、一切衆生(生きとし生けるもの・いのちあるものすべて)を念仏のはたらきで救わずにはおかないと誓いを立てておられます。阿弥陀さまの一切衆生に向けはたらいておられる念仏を頂いている自分であるということもできます。
 つまり、一切衆生は、阿弥陀さまが救わずにはおかない(仏の悟りを開かせずにはおかない)という同じ「いのち」をもつものだと示して下さってあるのです。

  その阿弥陀さまのお心を頂く者が念仏者ですから、阿弥陀さまのはたらきを蒙るすべてのいのちを、大切な方々と受け取っていく世界が恵まれているのです。
 それは、人間関係だけでなくすべてのいのちとの関係を損得勘定で見るのではなく、いのちをいのちとして、人を人として見出していくということになるのです。そこにこそ真の平和があると思います。

 お念仏の中にともに生きる人々のことを「同朋(どうぼう)」「とも同朋」と言われますが、阿弥陀さまはたらきを受ける者すべてが「同朋」であるという視点の大切さを示された今月の言葉です。
南無阿弥陀仏