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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2014年7月の法話
  「本当(ほんとう)の相(すがた)になる これが
       仏(ぶつ)の教(おし)えの目的(もくてき)である」
(2014年 真宗教団連合「法語カレンダー」7月のことば)
 今月の法語は、暁烏敏(あけがらすはや)氏(1877年〜1954年)の『魂(いのち)萌(も)ゆ』(東本願寺出版部刊)に出されている言葉です。氏は、1877(明治10)年に石川県の真宗大谷派の明達寺に生まれられました。昭和25年には大谷派の総長になられたかたです。

 さて、ここで言われている「本当の相(すがた)になる」とは、どういうことでしょうか。

 本願寺出版社から出されています『月々のことば』には次のように書かれてあります。

《 私たちが普段用いる言葉使いで「本当の相(すがた)になる」と聞くと、「私の本来のすがた、素直で純真無垢な姿になること」と思ってしまいそうです。
 仏の教えの目的が私の本来のすがた、素直で純粋無垢なすがたになることと理解してしまえば、親鸞聖人が開顕された浄土真宗とは大きく異なります。
 
 今月の言葉に続けて
  本当の道に入らしむるというのが仏の教えの要である。「実相に 帰せしめんとなり」、 これはよほど味わいがある。               
(『魂(いのち)萌(も)ゆ』90頁)
と暁烏敏師は述べられています。
 仏の教えの目的である「本当の相になる」というのは、「本当の道に入らしめる」「実相に帰せしめん」ことと明言されています。 》

 このように示していただきますと、私が、「本当の相(すがた)になる」ということは、私自身が「本当の道に入り」「実相(じっそう)に帰せしめん」ということになります。

「実相」とは、『真宗新辞典』(法蔵館刊)には「すべてのもののありのままのすがた、形相を超えた真実のすがた、涅槃の異名、また、弥陀の名号、浄土の荘厳をいう」と、示されてあります。
 そういたしますと、私自身が仏のさとり(涅槃)をひらくことが、「本当の相(すがた)になる」ということの意味になります。

 親鸞聖人の著わされた『教行信証』の中には
 《 すべての衆生(しゅじょう)は、はかり知れない昔から今日この時にいたるまで、煩悩
  (ぼんのう)に汚れて清らかな心がなく、いつわりへつらうばかりでまことの心がない 》
と、私たち自身のすがたを示され、そのすぐ後に、
 《 如来の成就されたこの至心(ししん)、すなわちまことの心を、 煩悩にまみれ悪い行
  いや誤ったはからいしかないすべての衆生に施し与えられたのである。この至心は如来
  より与えられた真実心をあらわすのである。 》
                          「教行信証現代語版(本願寺刊)」
と、示して、真の心を持ち合わせていなかった私に、阿弥陀如来が真実の心を与えられていることを教えてくださっています。

 仏の教えの目的は、この真の心のない私を、さとりの仏にするためのものであることを示されたのが今月の言葉でありましょう。
 それは、私自身が自分のことをどのように思っていても、仏になるべき大切な命を今ここに戴いて生きていることをお示しくださった言葉でもあったのです。
南無阿弥陀仏