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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2014年8月の法話
  「拝(おが)まない者(もの)も おがまれている
              拝まないときも おがまれている」
(2014年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
 今月の法語は、東井(とうい)義雄(よしお)先生(1912年〜1991年)の『拝まない者もおがまれている』(光雲社 昭和61年刊)に出されている言葉です。先生は、1912(明治45)年に兵庫県出石郡の浄土真宗本願寺派の東光寺に生まれられました。
 この本の中で「私は、浄土真宗本願寺派の日本一の貧乏寺の長男に生まれたのです……」とご自身のことを紹介されていますが、経済的にも家庭的にも大変な状況の中で苦労をされて勉学に励まれ、昭和7年に師範学校を卒業され以来40年間、公立小中学校の教員を続けられた先生です。
 今からもう30年くらい前になりますが、何度か先生のお話を聞かせていただいたことがあります。お話しされる姿や内容をから、先生の人間味がにじみ出て、とても有り難く感じたことを思い出します。

『拝まない者もおがまれている』の最初に「峠のお地蔵さま」と題された一文に、この言葉は出されています。その大まかな内容は次の通りです。

 先生は中国山脈の山の中のお寺に住んでおられ、よそにバスに乗って出かれられる時は、バス停まで約6キロの道のりを自転車に乗って行くことになるのだそうです。その時、いつも、ご自身に言い聞かせられることが
「地蔵峠のお地蔵さまの前を通るときには、忘れないようにご挨拶する」ということです。
 ところが、お地蔵さまのところは坂道になっていて、ペダルを踏まなくても自転車が気持ちよく風を切って走ってくれるのでご挨拶を忘れてしまう。急ぎの用事でタクシーに乗っている時などはご挨拶を忘れてしまったという申し訳なさの思いさえ忘れてしまう。
 帰りは、バス停からの登り坂は急でとてもペダルを踏んでは走れないので自転車を押して坂道を登ることになり、お地蔵さんの前まで来ると、いつもハッとする。それは、お地蔵さまが合掌して、自分を拝んでくださっているからです。自分が、挨拶を忘れていたときも、「ご挨拶」とも考えず、タクシーに乗ってふんぞり返っていた時も、お地蔵さまは拝んでいてくださっていたにちがいない。そして次のように書かれています。

 『そんなことに気がついて、申し訳ない思いで、こちらが掌を合わせるよりも先に、お地蔵 さまは、おがんでくださっているのです。

  拝まない者も おがまれている
  拝まないときも おがまれている

  そういう申しわけなさとしあわせを味わわせてくださるのが、地蔵峠のお地蔵さまなので す。』

 お地蔵さまがどうして私などを拝んでくださるのかについては、
 親鸞聖人が『仏説阿弥陀経』の意を讃えて作られたご和讃を解釈されて
「濁りに濁り、汚れに汚れたいまの世に生まれた濁悪邪見(じょくあくじゃけん)の私が救われる道は、お念仏以外にはないぞと、ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの仏さまが、私にお念仏を勧めてくださっているという、その一人としてお地蔵さまが「わしへの挨拶は忘れてもいいが、十劫(じゅっこう)の昔から念じずめに念じ、願いずめに願ってくださっている阿弥陀さまのお呼び声、お念仏だけはわすれないようにしておくれ」と掌を合わせて頼んでくださっているのだと、気付かさせていただくのです」と、先生はお示しくださっています。

 数限りない仏さまから思いをかけられているいのちをいただいている自分であること深く味わわせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏