「 ただ念仏(ねんぶつ)せよ 念仏せよ
大悲(だいひ)回向(えこう)の
南無(なも)阿弥陀仏(あみだぶつ) 」
(2014年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
今月の法語は、梅原真隆師の歌です。
梅原真隆師の経歴をネット(ウィキペディア)で見て驚きました。
梅原 真(眞)隆(うめはら しんりゅう、1885年〈明治18年〉11月11日 - 1966年〈昭和41年〉7月7日)は、日本の仏教学者。富山県滑川市寺家町の浄土真宗本願寺派梅原山専長寺27代・29代住職。龍谷大学教授、京都市議会議員、本願寺派執行、本願寺派勧学寮頭(5期)、顕真学苑主幹、参議院議員(1期)、富山大学第3代学長。
浄土真宗本願寺派の学者であることぐらいしか、私の頭の中にはなかったのですが、本当に多くのことをなさっていた方であったと知らされたことです。
本願寺刊の『月々のことば』の中に、師のこんなエピソードが紹介されています。(本文を要約して紹介します)
兵庫県の芦屋市に「芦屋仏教会館」という聞法の道場(仏法を聞くための場所)がありま す。建てた方は、丸紅商社の創始者である 初代 伊藤長兵衛さんです。
伊藤長兵衛さんが芦屋に住むようになって、気付いたのが、「芦屋にお寺がない。お聴聞 する場所がない」ということでした。「仏にお礼することも知らん、聞法することも知らん こんなけったいな所で人が育つのか。そうだ、ここにお寺を建ててみんなに聴聞してもらお う」と考え、計画を立てて、尊敬する梅原先生に相談に行かれたのです。
ところが、その計画をじっと聞いておられた梅原先生は、開口一番「伊藤さんあなたはよ いことをしようと思っておられるかもしれませんが、私は賛成できませんよ」と一言いわれ たそうです。それに対して、伊藤長兵衛さんはその反対の理由を聞かず、梅原先生も、何故 いけないのか、その理由を言われず、二人はそのまま別れるのです。
この時、伊藤長兵衛さんは70歳位、梅原先生は40歳そこそこ、親子ほど歳が違い、お 金を持っているのは伊藤長兵衛さん、反対するのは梅原先生。伊藤長兵衛さんは梅原先生ほ どの方がなぜ反対するのか、そのわけを寝ても覚めても考えていたそうです。ある日ことハ ッと気が付き、急いで京都の梅原先生の所へかけつけられたのです。
「先生、この間の計画は全部ご破算にしました、今日は新しい計画を持ってきました。新 しい計画と言いますのは、やはり、芦屋に浄土真宗のお寺を建てたいのですが、今度は建て るお寺は、芦屋の人達に聞法してもらうためではなく、この私がお聴聞するお寺が芦屋にあ りませんから、芦屋に聞法の道場を建てて、日曜ごとに聴聞させてもらおうと思います」
と、言いましたら、梅原先生が身を乗り出して、
「伊藤さん、その言葉を今日まで待っていました」と。
そうして出来上がったのが芦屋仏教会館です。そして、法座のたびに席の最前列で熱心に お聴聞」なさる伊藤長兵衛さんのすがたがあったということです。
親鸞聖人は、阿弥陀さまが、いのちあるものすべて(衆生)に本当の安心を与えるために、長い長い間考えて考えて考え抜いてたててくださった願いは、私一人のためのものであったと教えてくださいました。(歎異抄後序のことばより)
私を抜きにした聴聞は浄土真宗では成立しないことを梅原先生はお示しくださったのです。
私一人のために、すべてをかけてはたらいてくださっている阿弥陀さまなのです。念仏は阿弥陀さまそのものなのです。
念仏させていただくことのできる素晴らしさ有り難さをお示しくださった、今月の法語なのです。
南無阿弥陀仏