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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2015年2月の法話
 「拝(おが)むとは 拝まれて居(い)た事(こと)に
               気付(きづ)き醒(さ)めること」

(2015年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙と2月のことば)
 今月の言葉は、阿弥陀さまを拝む(合掌(がっしょう)礼拝(らいはい)をする)ことの意味についてのお示しです。

 一般に「拝む」とは、神や仏に手を合わせ、頭を下げて祈ることであると辞書には示されてあります。
 そして、「合掌」ということについては
 『インド起源の礼拝(らいはい)の仕草。両手のひらを胸または顔の前で合わせる。右手は仏の象徴で、清らかなものや知恵を表わす。左手は衆生(しゅじょう)、つまり自分自身であり、不浄さを持ってはいるが行動力の象徴である。両手を合わせることにより、仏と一体となることや仏への帰依(きえ)を示すとされる。他人に向かって合掌することはそのものへの深い尊敬の念を表わす』と、ウキィペディアに書かれてありました。

 浄土真宗でいう合掌礼拝は、自分の願いをかなえてもらうために、阿弥陀仏に祈りお願いするものではありません。
 合掌の意味を示された中にありますように、仏への帰依つまり阿弥陀仏を究極(きゅうきょく)の拠(よ)り所(どころ)として、頼り敬い慕うことから合掌し礼拝するのです。
 なぜ究極の拠り所となるかと申しますと、阿弥陀仏が、私たち一人ひとりに必ず仏の悟りを開かせると、私のことを思いはたらき続けてくださっているからです。

 1月の法話の最後に
《自分の都合=煩悩(ぼんのう)で自分を縛(しば)り迷いの中にある私たちのことを放っておけない阿弥陀さまなのです。
 阿弥陀さまの智慧(ちえ)と慈悲(じひ)のはたらきの中にある自分であることに気付かせて頂くのです》
と書かせて頂きました。

 私が阿弥陀さまの教えを聞き、自分にとってとても大切なものと思うようになった時から阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきが始まったのではありません。ずっと以前から、私がそのはたらきに気付くずっとずっと前からに私に向かってはたらいてくださる阿弥陀さまなのです。

 私どもは合掌礼拝するとき自然に南無阿弥陀仏のお念仏が口から出ます。浄土真宗で仏さまを拝むとはそういう姿を言うのだと思います。時と場合によってはそういう形がとれないこともあります。  
 しかし、自分が阿弥陀さまのはたらきを思うとき、自分が思うずっと前から阿弥陀さまは自分のことを思い通しであったと受け取らせて頂きたいものです。
 拝むという形をとることで、阿弥陀仏の智慧と慈悲のはたらきに思いをはせることは、とても大切なことだと思います。
南無阿弥陀仏