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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2015年5月の法話
  「わしひとりを めあての 本願(ほんがん)の ありがたさ」
(2015年 真宗教団連合「法語カレンダー」5月のことば)
 今月の言葉は、児童文学者であり京都女子大学の教授をされ、奈良県吉野郡大淀町浄迎寺住職であられた花岡大学先生(1909〜1988)の言葉です。

 今月の言葉は、花岡先生の著わされた『妙好人(みょうこうにん) 清九郎(せいくろう)』(1966年百華苑刊)という書物の中に出されている言葉だそうです。
 
 さて、中国の善導大師(ぜんどうだいし)(613〜681)が著わされた『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』という書物に以下のように書かれています。

  「もしよく相続(そうぞく)して念仏(ねんぶつ)するものは、この人はなはだ希有(けう)なりとなす、さらに物としてもつてこれに方(なら)ぶべきなし。ゆゑに分陀利(ふんだり)を引きて喩(たと)へとなすことを明かす。「分陀利」といふは、人中の好華(こうけ)と名づけ、また希有華(けうけ)と名づけ、また人中(にんちゅう)の上上華(じょうじょうけ)と名づけ、また人中の妙好華(みょうこうけ)と名づく。この華(はな)相伝(そうでん)して蔡華(さいけ)と名づくるこれなり。もし念仏するものは、すなはちこれ人中の好人(こうにん)なり、人中の妙好人(みょうこうにん)なり、人中の上上人(じょうじょうにん)なり、人中の希有人(けうにん)なり、人中の最勝人(さいしょうにん)なり」

 このように、善導大師は篤信(とくしん)の念仏者を好人、妙好人など申されました。

 江戸時代に、今の島根県(石見の国)におられた仰誓(ごうせい)さんという学者さんが『妙好人伝(みょうこうにんでん)』を編集され、篤信の念仏者が多く顕彰されました。この頃からお念仏を喜び人々の模範となるような生活をされている方々を妙好人と呼ぶようになったようです。

 その妙好人の一人に数えられるのが大和の清九郎さんです。その清九郎さんの物語の中に今月の言葉が出されています。

 親鸞聖人の言行録である『歎異抄(たんにしょう)』の後書きには、
「弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞(しんらん)一人(いちにん)がためなりけり」(『浄土真宗聖典』853頁)というお示しがあります。

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は「阿弥陀さまが長い長い間考えに考え抜かれて出来上がった阿弥陀さまの願いは、この親鸞を救うためでありました」と、阿弥陀さまのおはたらきを喜ばれています。

 最低の私、救われようのない私を救い、本当の安心を与えたいとはたらいてくださる阿弥陀さまです。そのはたらきは、いのちあるものすべてにかかっています。すべてのいのちが救われるはたらきだからこそ、私が救われるのです。阿弥陀さまの救いの対象は万人ですが、私と阿弥陀さまとは1対1の関係です。ですから、阿弥陀さまがその救いを成就するためにご苦労してくださったことを自分一人のためのご苦労と受け止めるのです。

 救われようのない私を救わずにはおかない阿弥陀さまのおはたらきを聞かせていただくご縁を大切にしたいものです。
南無阿弥陀仏