(2015年 真宗教団連合「法語カレンダー」6月のことば)
今月の言葉は、仲野良俊師(1916〜1988)の
『三誓偈(さんせいげ)講話(こうわ)』(1983年東本願寺出版部刊)にある言葉だそうです。
仲野良俊という方は、京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、ビルマの日本語学校の教員をされ、1956年から真宗大谷派の教学研究所に在籍されその後同研究所の所長になられ、真宗大谷派専念寺住職でもあった方です。
『三誓偈(さんせいげ)講話(こうわ)』が発表された1962年ごろは池田(いけだ)勇人(はやと)首相の「所得倍増計画」のもとに、所得も物価もどんどん上がり、電化製品の三種の神器と言われた、テレビ(白黒)・洗濯機・冷蔵庫が各家庭に普及しだした時代でした。
多くの人々が、生活が豊かになったことを感じ始めた時代であったとも言えるのかもしれません。生活が物質的に豊かになること求めるのは、生活の便利さの追求であったり、自分の欲をかなえるためのものであるのでしょう。
私たちはある意味「物を求めて生きている」と言ってもいいのではないかと思います。
今まで欲しいと思っていたものが、とても手に入れることはできないと思っていたものが、所得が増えることで買うことができるようになると、どんどん欲が大きくなるということもあり、一つのものが手に入ることで、更に次の欲が出てくることも多いようです。
このような欲望の心は、自分の目の前にある「もの」が引き起こすように思われますが、自分がその「もの」をとらえる私の心に自分がとらわれているということで起こりのでると仏教は教えています。
そのことを表わしているのが今月の言葉です。
実際、自分の心に植えつけられた思いに縛られることが多い私たちではないでしょうか。
池田勇人首相と言いますと、私が小さい頃に「貧乏人は麦を食え」とか「私は嘘を言いません」と、言った人だということを記憶しています。
少し調べてみると、池田首相は実際に「貧乏人は麦を食え」という発言はしていません。首相になるずっと以前に(大蔵大臣の時代に)それに近いようなことを言ってはおられるようですが、この言葉を使ったのはマスコミの方です。
新聞やテレビで報道されますとそれが本当のことと思い込んでしまうことが多いのが私たちではないでしょうか。
今月の言葉を聞かせて頂きます時、そんな多くの思い込みに縛られ、多くの思い込みにとらわれている自分であることを教えて頂きます。
そんな私たちであるから悩みが多く苦しんでいくのだということでありましょう。だからこそ、そんな私を捨てることができない、本当の安心を与えたいと、はたらいてくださる阿弥陀さまなのです
ですから、阿弥陀さまのおはたらきを聞かせていただくご縁を大切にしたいものです。
南無阿弥陀仏