(2015年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
今月の言葉は、大神信章さん(1949〜2013)の『学仏大悲心−ほとけのおしえ 詩と言葉−』(探究社刊)という書物からです。
大神さんは、世相の流れの中にあって、ご法義をいかに短い言葉で簡潔に伝えるかを考えておられたようです。
『今を生きずにいつを生きる』厳しい言葉に聞こえます。
「今を生きるということはどうだろう?」
「それは現在を精一杯生きるということなのだろうか?」
「では、精一杯生きるというのはどういうことだろうか?」
「それは、今自分が何をすべきか判断して、自分の力の限り精一杯はたらくことだとしたら そんなことが自分にできるのだろうか?」
そんな風に考えると、とても難しくなります。とても自分には、実現不可能なことに思えます。
以前に一休さんのお話を聞いたことがあります。あのとんちで有名な一休さんの晩年のお話だそうです。
ある日、一休さんが弟子の小僧さんを連れて町を歩いていた時のこと、ウナギ屋さんのお店の前を通りかかると、いい匂いがあたり一面立ち込めていたそうです。その時、師匠の一休さんが「うまそうやなぁ、食べたいなぁ……」とつぶやきながら、生唾を飲み込むような仕草をしていたそうです。
その様子を見た小僧さんは、「師匠はウナギを買って来いと暗に言われているのかな?」と思い、買ってきた方がいいのかどうか、どうしようかとずっと思案しながら師匠の後をついて歩いていったのです。
用事を済ませ、お寺に帰ってからも、頭の中はウナギのことが気にかかって仕方ありませんでした。そこで思い切って師匠に昼間のウナギ屋の前を通ったときのことを話し、「今からでも買ってきましょうか」と聞きました。
一休さんは「お前はまだそんなところでとどまっているのか!お前の心はウナギ屋さんの前に止まったままだ。わしは確かにウナギをうまそうや、食べたいなあといったが、そのあと花屋さんの前では、花の綺麗さに目をうばわれていたし、他のことでも色々心を動かされたことがたくさんあった。お前にはそんなことは何も見えていなかったということだ」と、諭されたということです。
このお話は、心が何かにとらわれてしまうと周りが見えなくなることを表わしていると思います。私たちは過去にとらわれたり、未来に不安を抱きすぎたりして、今の自分自身を見失うことが多いのではないかと思います。
今ここにある自分のすがたをそのまま見ていくことの大切さを示して下さったのが今月の言葉ではないかと思います。しかしながら、その本当の自分のすがたを見ることができるかと言えば甚だ疑問です。
本当の私の姿を見抜き通して下さっているのが、阿弥陀さまです。私をすべて分かり通して受け入れて下さっている阿弥陀さまです。今をそのまま生きることができない私、ここから逃げ出そうとする私、そんな私をそのまま引き受けて下さる阿弥陀さまなのです。
ですから、阿弥陀さまのおはたらきをよくよく聞かせていただくことを大切にしたいものです。
南無阿弥陀仏