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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2015年9月の法話
「煩悩(ぼんのう)の嵐の中にも  念仏(ねんぶつ)において
        本願(ほんがん)の呼び声が  聞こえてくる」
(2015年 真宗教団連合「法語カレンダー」9月のことば)
 今月の法語は、京都の大谷大学の学長をされていた正親含英(おおぎがんえい)氏(1895年〜1969年)の言葉です。
 
 岩波書店刊の仏教辞典には、煩悩というのは「心身を乱し悩ませ、正しい判断をさまたげる心のはたらきで、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)のいわゆる三毒が煩悩の根源的なものとされます。貪=むさぼり・瞋=いかり・癡=仏教の教えを知らないこと、つまり、物事の道理を知らないことによって自分を苦しめ悩ませる心であり、煩悩は自己中心の考え、それにもとづく事象への執着から起こる」(内容を要約しています)とされています。
 
 親鸞聖人はご自分も含めて私たちのことを「煩悩成就(ぼんのうじょうじゅ)の凡夫(ぼんぶ)」と申されています。
 私自身が煩悩成就の凡夫なのです。しかしそんなことを日々考え思っていることは殆どないように思います。

 8月、大阪府寝屋川市の中学一年生男女が殺された事件が大きく報道されています。男子の遺体は私が住んでいます柏原市で発見されました。寝屋川から柏原まで20km以上離れています。まさかこんな近くでという思いでいっぱいです。
 この事件の被疑者は逮捕されましたが、真相解明にはまだまだ時間がかかりそうです。
 何故こんなことが起こるのだろう。何故こんなことをするのだろう。色々な疑問が湧いてきます。テレビや新聞紙上でも連日この事件について報道されていますが、被疑者が黙秘を続け決定的な物的証拠も見つかっていないようで、わからないことばかりだそうです。
 本当に恐ろしい事だと思います。同じ年代の子どもさんをお持ちの親御さんには大変ショッキングな事件でありましょう。しかし、このような事件は、何度か繰り返されています。そして毎日私たちの耳には、「殺人事件、局地的な戦争、自殺……」人間のいのちがないがしろにされることが、数限りないほど入ってきます。その殆どが、人間が原因の事件事故です。
 そのような事件や事故を見て聞いて「大変なことが起こるものだ」と、私たちは思います。しかし、今平穏の生活を送っている自分にはあまり関係ないし、自分はそんなことは絶対に起こさないと思っています。

 煩悩成就ということは、自分は何をしでかすかわからないということです。条件が整えばどんなに悪いこともしてしまう自分であるということです。ですからどの事件も他人事ではないはずなのです。私自身のすがたを教えているのではないでしょうか。

 実際には、煩悩中心に自分の欲望をかなえるために日々生活しているのが私たちであるのかもしれません。その私自身の本当の姿を「煩悩成就の凡夫」と親鸞さまをお示しくださったのでしょう。
 そんな煩悩中心の生活の中で、お念仏を称えることで、阿弥陀さまのはたらきに気づかせて頂くができるということを示して下さったのが今月の言葉ではないでしょうか

 自らの煩悩によって闇に落ち込んでいる私のことを「必ず救わなければ私は仏にならぬ」と誓い、阿弥陀の功徳を「南無阿弥陀仏」のお念仏にすべておさめ入れ「お前を救わずにはおかないぞ!」「なもあみだぶつ」とよびかけてはたらいてくださる阿弥陀さまなのです
 ですから、阿弥陀さまのおはたらきをよくよく聞かせていただき、お念仏させて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏