(2016年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙と1月のことば)
                
              
               あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
               今冬はエルニーニョ現象の影響で暖冬になっています。私などは暖冬で「有り難い」と思いますが、スキー場の関係者の方などは雪が積もらなくて困っておられます。
               自分の立場・都合だけで、ものの善し悪しを判断してものを言いますと相手にいやな思いをさせることがあります。それが結果的に相手を傷つけたり争いになることもあります。
              
               「自分こそ正しい その心が 他人を傷つける」
               今、西法寺の門前などの掲示板に掲げています言葉です。(この言葉は、フェイスブックに掲載されていた『浄土真宗法語』より頂戴させて頂きました)
 自分こそが正しいと思い込んでしまうことの多い私どもです。そのことが他の人を傷つけることになってもわからなかったり、そのことを教えられても、それでも自分が一番正しいというところを脱し切れないのが私自身の本当の姿であるのかもしれません。
               親鸞聖人は「私たち凡夫は死ぬまで欲多く、いかり、腹立ち、そねみ、ねたむ心などが絶えず起こり続けているのだ」と教えてくださいました。それは、生きている限り苦しみの因を持ち続け、縁があれば何時苦しみが起こってくるかわからない《不安な人生》を送っているのが私達であることを教えてくださっているのです。
               そんな私どものことを放っておくわけにはいかない!本当の安心を与えたい!と、立ち上がりはたらいて下さっているのが阿弥陀如来という仏さまです。
               その阿弥陀さまのおはたらきを讃えられた親鸞さまの言葉(詩)が「正信念仏偈」です。今年の法語は、この正信偈の意味を訳しお勤めとして作られた『しんじんのうた』の言葉です。
                 帰命無量寿如来 南無不可思議光
                 ひかりといのちきわみなき 阿弥陀ほとけを仰がなん
               正信偈の最初のところです。
 本願寺から出版されている『現代語版』では
「限りない命の如来に帰命し、思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる」と示されています。そして阿弥陀さまの思いはかることのできない光について、具体的にお示しくださったのが1月の言葉です。
 
              普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹
              十二のひかり放ちては あまたの国を照らします
               現代語版には「本願を成就された仏は、無量光・無辺光・無碍光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・無称光・超日月光をとたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし……」と示されています。
               
               阿弥陀さまの光について、はかりなく、どこまでも照らし、遮るものも突き破る光であり、他にくらべるものもなくすぐれていて、最高の輝きを持ち、衆生のむさぼりを除く清らかな光であり、衆生のいかりを除き喜びを与える光であり、衆生のまどいを除き智慧を与える光であり、休むことなくつねに照らす光でもあり、私の思いを超えた、人間の言葉では説きつくすことのできない光であり、日月を超えたすぐれた光であると示されていることです。
              
               下線を施した12種の光のはたらきをもつのということは、私たちが、どんな状態にあろうとも照らし育み抱き続けてくださっていることを表しているのです。
               絶対に捨てることのない阿弥陀さまのおはたらきを、念仏(南無阿弥陀仏)して喜ばせて頂いたいものです。   
              南無阿弥陀仏