(2016年 真宗教団連合「法語カレンダー」2月のことば)
今月の言葉は「正信偈」の「一切群生蒙光照」(いっさいぐんじょうむこうしょう)の意味を訳(意訳)したものです。
「一切の群生、光照を蒙(かぶ)る」現代語版には《すべての衆生はその光明に照らされる》と示されています。
郡生とは、多くの生類ということで、生きとし生けるもの。一切衆生のことと『浄土真宗辞典』(本願寺刊)には示されています。
ですから、今月の言葉は、
《阿弥陀さまの光は、いのちあるものすべてを照らしている。つまり、阿弥陀さまは、いのちあるものすべてにはたらき続けておられる。もう一言いえば、阿弥陀さまは、私のことを照らし続け私に常にはたらき続けてくださっている。そして、私以外のすべてのいのちに対してもはたらき続けておられる》ということです。
阿弥陀さまの根本の願い(本願)は、仏説無量寿経の中に説かれている四十八の願いの中の第十八番目の願いであると、親鸞聖人はお教えくださっています。その第十八願は、
設我得仏(せつがとくぶつ) 十方衆生(じっぽうしゅじょう)
至心信楽(ししんしんぎょう) 欲生我国(よくしょうがこく)
乃至十念(ないしじゅうねん) 若不生者(にゃくふしょうじゃ)
不取正覚(ふしゅしょうがく) 唯除五逆(ゆいじょごぎゃく)
誹謗正法(ひほうしょうぼう)
《たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲(おも)
ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く》 (註釈版聖典)
《私が仏になったとき、あらゆる人々が、まことの心で(至心)信じ喜び(信楽)私の
国に生まれると思って(欲生)、たとえば十声念仏して(乃至十念)、もし生まれる
ことができないようなら、わたしは決してさとりを開くまい。ただし、五逆の罪を犯
したり、正しい法を謗るものだけは除かれる》(現代語版)
これが阿弥陀仏が菩薩であった時に建てられた願い(誓い)の一番根本のものです。ここに示されますように、阿弥陀仏はすべてのいのちあるものに対して、平等にはたらきかけて仏の悟りを開かせることを根本の願いとされているということです。
それが、一切の群生を照らすということになるわけです。
そのような阿弥陀仏のはたらきから、いのちは平等であることをお示しくださったのが親鸞さまという方なのだと思います。
私達の社会の中で、いや、私自身が、他の人のことを、善人・悪人・賢い人・愚かな人・貴い人・賤しい人、そして、肌の色・国籍・生まれた場所などによって、いのちに差をつけていることがあります。
阿弥陀さまがすべてのいのちを本当に大切にされていうことを、今月の言葉から改めて知らされ、自身の姿を顧みることが大切なことだと思います。
すべてのいのちが尊ばれる世界が本当の幸せの世界であるということでありましょう。
南無阿弥陀仏