(2016年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
今月の言葉は「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃(わくぜんぼんぶしんじんほつ しょうちしょうじそくねはん)」を意訳したものです。
この正信偈の御文の読み下しは、「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)、信心(しんじん)発(ほっ)すれば、生死(しょうじ)すなわち涅槃(ねはん)なりと証知(しょうち)せしむ」【『浄土真宗聖典(註釈版)』】です。
現代語版には《煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫でもこの信心を得たなら、仏のさとりを開くことができる》【『顕浄土真実教証文類(現代語版)本願寺刊』】と示されています。
今月の法語は、7月の「往くも還るも他力ぞと ただ信心をすすめけり」を受けての法語です。
曇鸞大師さまは、私達に信心を得ることをすすめられています。
そのすすめられる側の私たちは「まどえる身」であり、正信偈の上では「惑染(わくぜん)の凡夫(ぼんぶ)」と示されます。「惑」は煩悩、「染」は染汚の意味で、「惑染の凡夫」とは、煩悩に汚染されずっとずっと昔から迷い続け苦しんでいる私たち一人ひとりのことです。
その私たちを浄土に生まれさせる因として、阿弥陀さまが「信心」を私たちに与えて下さっていることを示されたものです。
阿弥陀さまが与えて下さる「信心」という言い方をしますと、何か信心という形があるように思えますが、「信心」とは「仏の教えを信じて疑わない心」です。ですから、阿弥陀さまが私たちにはたらきかけてくださり、阿弥陀さまのはたらきを信じて疑わない心が私に生れることを「信心を頂く」と言うのです。
藤田徹文先生の『わたしの信心』(探究社刊)というご本に以下のような文章がありますので、紹介させて頂きます。
聞法とは「誰が」「何を」きいて「どうなる」ことかといいますと親鸞聖人は『教行信 証』の信巻に、聞法とは「衆生が」「仏願の生起本末を」聞いて「疑心あることなし」とな
ることであるといわれています。すなわち、聞法とは「この私が」「私自身のことと、私
を救わんがための如来のおはたらきを」聞いて「あきらかになり、疑いの心がなくなる」
ということであります。…(中略)…
信心をいただくとは、自己のありのままの相(すがた)と、如来さまのおはたらきがあき
らかになって「私の救いは、如来さまのおはたらきにおまかせする以外にはない」「こんな
私を救わんがために、如来さまはおはたらき下さる」「私はまちがいなく真実の世界に生
きぬく身にしあげられる」ということがはっきりすることであります。……
このように、藤田先生は申されています。そして、ありのままの自分がありのままで生きていける道が与えられているとも申されています。
今月の言葉は、阿弥陀さまのはたらきによって、迷いの中に生きている私がそのままで安心して生きていける世界があることをお示しくださった言葉であると思います。
南無阿弥陀仏