(2016年 真宗教団連合「法語カレンダー」9月のことば)
今月の言葉は「正信偈」の「一生造悪値弘誓(いっしょうぞうあくちぐぜい)至安養界証妙果(しあんにょうがいしょうみょうか)」を意訳したものです。
この正信偈の御文の読み下しは、「一生悪を造れども、弘誓に値(もうあ)ひぬれば、安養界(あんにょうかい)に至(いた)りて妙果(みょうか)を証(しょう)せしむといへり」【『浄土真宗聖典(註釈版)本願寺刊』】です。
現代語版には《たとえ生涯(しょうがい)悪をつくり続けても、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願(ほんがん)を信じれば、浄土に往生しこの上ないさとりを開く》【『顕浄土真実教証文類(現代語版)本願寺刊』】と示されています。
この正信偈の御文は、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)さまの著わされた『安楽集(あんらくしゅう』のお示しをもととして、親鸞さまが阿弥陀さまのはたらきを表わしてくださったものです。
道綽禅師(562〜645)さまは、今の中国山西省文水の生まれで、14歳で出家し『涅槃経(ねはんぎょう)』を究められたのですが、玄中寺(げんちゅうじ)というお寺で、曇鸞大師さまの碑文を読んで、48歳で浄土教に帰依されたということです。それ以後は、一日念仏を称えること七万遍『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を講義すること200回以上に及び、人々に小豆念仏(小豆で念仏の数を数えること)を勧められました。著書に『安楽集』2巻があります。
「一生悪を造るとも」ということは、私が生きている間様々な悪を造る存在であることを示している言葉だと思います。
そんな私が阿弥陀さまの教え・はたらきとあうことで極楽浄土に生まれさせられ悟りの仏にならせて頂くと示してくださる今月の言葉です。
ここで、「あう」という文字が「値」となっています。「値」という漢字は「まともに当面する」という意味があります。そして、お正信偈の御文の読み下しでは「値」は「もうあう」とよまれています。ですから、この「値」の字を使われたということは、私達が阿弥陀さまのはたらきに「すでにであっている・まともに直面している」ことを意味しているのだと思います。
私たち自身は気づくことができなくても阿弥陀さまはずっとずっと以前から私達にはたらきかけ私達にあって下さっているのだということです。そのはたらきに気づき私が阿弥陀さまのはたらきをそのまま受け入れた姿を「値(もうあう)」というのでありましょう。
そして、私達が、どんなに悪いことをしても阿弥陀さまのはたらきから外れることがない、どんな人間であっても漏らすことなく必ず極楽浄土に生まれさせるという阿弥陀さまの誓いであります。
それは私のすべてが受け入れられる世界であります。絶対に壊れることのない拠り所なのです。私の身がそのまま預けられる、私の重荷をそのまま背負ってくださるのが阿弥陀さまなのです。
その阿弥陀さまとの「であい」は、阿弥陀さまのはたらきを何度も何度も聞かせて頂くことによるのだと思います。
南無阿弥陀仏