(2016年 真宗教団連合「法語カレンダー」11月のことば)
今月の言葉は「正信偈」の「速入寂静無為楽 必以信心為能入(そくにゅうじゃくじょうむいらく ひっちしんじんいのうにゅう)」を意訳したものです。
この正信偈の御文の読み下しは、「すみやかに寂静無為(じゃくじょうむい)の楽(みやこ)に入(い)ることは、かならず信心(しんじん)をもって能入(のうにゅう)とす、といへり」【『浄土真宗聖典(註釈版)本願寺刊』】です。
現代語版には《速(すみ)やかにさとりの世界に入るには、ただ本願を信じるより他はないと述べられた》【『顕浄土真実教証文類(現代語版)本願寺刊』】と示されています。
この正信偈の御文は、法然聖人(ほうねんしょうにん)さまの著わされた『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』のお示しから、阿弥陀さまのはたらきを表わしてくださったものです。
法然聖人(1133〜1212)は、現在の岡山県の久米郡の生まれで、幼名は勢至丸といいました。9歳の時、父、漆間時国(うるまときくに)は源定明に怨みをかい、毒矢にて殺されたのです。
その時、父親の臨終に直面した勢至丸は、「父君の仇は必ず私が討ちます。」と誓ったそうです。しかし、父の時国は、「仇討ちだけはやめてくれ、もしお前が仇をとると、相手の子供がまたお前を仇として討つことになるであろう。すると世の中は血で血を洗うことになり、殺し合いの世界となる。それ故、おれの菩提を弔うために出家してくれ」と、遺言されたということです。
法然さまは、この父の遺言を守り出家し、15歳の時、比叡山に上られました。当時の比叡山は、地位や権力を争い奪い合う俗世間と変わらない有様でした。法然さまは生死を超える道を求めて、黒谷の別所の叡空の門に移りました。18歳の時のことです。黒谷は名誉や地位を捨てて真剣に道を求める念仏者の集まるところでした。
多くの悩みをかかえながら生死を超える道を見出すことができないことに悶々としておられた法然さまは、43歳の時、善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物の中に念仏の一行で救われる道を見いだされたのです。
法然さまが示してくださったのは「念仏のはたらきでさとりの仏と成らせて頂く道」です。私たちが念仏するのは、阿弥陀さまが称えてくれよと願っておられるからなのです。
阿弥陀さまのはたらきをそのまま受け取る心が「信心」なのです。そして、阿弥陀さまのはたらきがあるからこそ私たちの中に「信心」がおこってきます。
今月の言葉は、私たち一人ひとりのことを極楽浄土に生まれさせ本当の悟りの仏に成らせたいという阿弥陀さまの願いをそのまま受けとることを勧められたものです。
阿弥陀さまのはたらきを何度も何度も聞かせて頂きましょう。
南無阿弥陀仏