(2017年 真宗教団連合「法語カレンダー」3月のことば)
『若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかいゆえ 信楽(しんぎょう)まことにときいたり
一念(いちねん)慶喜(きょうき)するひとは 往生(おうじょう)かならずさだまりぬ』
(「もし生(う)まれることができないようなら、さとりを開(ひら)かない」と本願(ほんがん)に誓(ちか)われているので、真実(しんじつ)の信心(しんじん)を得(え)たまさにそのとき、本願を信じ喜(よろこ)ぶ人は、浄土(じょうど)に往生(おうじょう)することが間違(まちが)いなく定(さだ)まるのである。『三帖和讃(現代語版)』(本願寺出版社刊)より)
今月の言葉は、上記の親鸞聖人の詠まれたご和讃の後半二句です。
「若不生者の誓い」と申しますのは、『仏説無量寿経』の中に、法蔵菩薩(阿弥陀如来)の48の願い(誓い)が説かれてあります。それが阿弥陀さまの本願ですが、その中でも一番中心になるのが第18番目の誓い「若不生者の誓い」です。
設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚
唯除五逆 誹謗正法
《たといわれ仏を得たらんに、十方の衆生 至心信楽してわが国に 生ぜんと欲(おも)いて、乃至十念せん。もし生ぜずば、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く》『浄土真宗聖典(註釈版)』
《私が仏になるとき、すべての人々が心から信じて、私の国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。 ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。》『浄土真宗聖典(現代語版)』
阿弥陀如来の根本の願いは、いのちあるものすべてを極楽浄土に生まれさせ阿弥陀如来と同等の悟りを開かせるというものであります。
それは、阿弥陀さまの本願(はたらき)を聞かせて頂き、そのまま受け取り信じ喜ぶ者は、この娑婆の縁が尽きたら必ず極楽浄土に生まれさせて頂くこと、お浄土にて仏の悟りを開き成仏させて頂くことが今決まるということです。言い換えれば、私達は仏と成るべき大切ないのちを頂いて現実に生きているということです。
「仏」とは、浄土真宗辞典には、目覚めたもの・真理をさとったもの。自らのさとりも、他をさとらしめるはたらきも完全に窮まり満ちたもののこと。と示されています。
阿弥陀さまのはたらきを聞かせて頂くことで「あの人もこの人も、みんな仏さまになられる方々なのだ」と、他の人々を見ていく視点を与えられている私達ではないでしょうか。それが本当に大切なことのように思えます。そこに本当の平和の原点があるように思われます。
「そんなこと言うてたら生きていけません!」
「人間、勝たなきゃ、負けたらあかんのです!」
「みんなが大事、なんてきれいごとです!」
という声が聞こえてきそうですが、そういう方々も仏さまに願われていのちを頂いておられるとの思いを持ちたいものです。
そんな阿弥陀さまのおはたらきを思い、お念仏申すこと大切にしていきたいものです。
南無阿弥陀仏