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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2018年12月の法話
  「自然(じねん)というは もとより
          しからしむるという 言葉(ことば)なり」
                 (2018年 真宗教団連合「法語カレンダー12月のことば)
 今月の法語は親鸞聖人のお手紙『御消息(ごしょうそく)』の中で、「自然法爾(じねんほうに)」ということについて書かれたお手紙の中の一文です。
「自然法爾」ということについて『浄土真宗辞典』(本願寺出版社刊)には、
「自然と法爾とは同義語で、ともに自ずからあるがままにあること、そのようにあることをいう。大乗仏教において究極的な真理をあらわす語として用いられる。親鸞は、他力救済が人間のはからいによって成立するのではなく、阿弥陀仏が衆生救済の法として成就した名号の自ずからなるはたらきによって成立するということをあらわす語として用いている。すなわち、阿弥陀仏の本願のはたらきによってしからしめることを「自然」(自ずから然らしむ)といい、本願の法則としてそのようにあらしむことを「法爾」(本願の法則として爾らしむ)という」
と説明されています。
 
 親鸞聖人は、このお手紙の中で、「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり、念仏の行者のはからいによるものではないということ、「然」は「そのようにあらしめる」という言葉であると申されています。
そして、「法爾」というのは阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめられることをいうのであるとお示しくださいます。

 阿弥陀仏の本願は、私たち一人ひとりを名号(南無阿弥陀仏)のはたらきによって、極楽浄土に往生させ阿弥陀と同等の悟りを開かせるという願いです。この本願のはたらき(名号のはたらき)によって、私たちは浄土に往生し、さとりの仏と成ることができるのです。

 私たちを浄土に往生させ、成仏させるために、阿弥陀仏は、はたらき続けてくださっています。その阿弥陀仏のはたらきに対して、私自身が何かを付け加える必要など全くないことを示され、浄土往生は、私の力で成しえるものではなくすべて如来のはたらきによって成就されるものということを申されたのが「自然法爾」ということだと思います。

 例えば、親と子の関係で言いますと、特に多くの母親は、我が子がお腹に宿ると、お腹の子のためにと、体調を気遣い、食べ物に注意を払い、胎教に良いと思われることをしてみたり、お腹の子のことを考えての生活をされる方が多いと思われます。そんな親の気持ちが胎児に伝わると聞いたこともあります。
 そして、出産後は、抱っこをし、母乳やミルクをあげたり、添い寝したり、特に乳児の間は自分のことより赤ちゃんのためにと、はたらかれる母親が多いのではないかと思います。このような親のはたらきで、赤ちゃんは安心して育っていきます。

 こういう親のはたらきが阿弥陀さまのはたらきに譬えられることが多くあります。ですから阿弥陀さまのことを「親さま」と呼ぶことがあります。
 このような親のはたらきは、ほとんど一方通行です。親の「ひとりばたらき」と言ってもいいと思います。その「ひとりばたらき」があって、赤ちゃんに安心を与えているのだと思います。それは自然なことです。
 人間ですから、赤ちゃんの笑顔を見て子育てを頑張れるということもあるとは思いますが、その笑顔の元は、親のはたらきから生まれてきたものだと思います。親のはたらきが赤ちゃんを安心して成長させるようにあらしめたということです。

 阿弥陀さまから、私たちひとりひとりが安心して生きていける、安心して死んでいける道が与えられているのです。そのような阿弥陀仏の本願のはたらきをそのまま信じ受け取ることで自然(しぜん)に安心していくことができる世界に表して頂いた言葉です。
                                    南無阿弥陀仏