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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

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浄土真宗とは

今月の法話

2019年1月の法話
「煩悩(ぼんのう)を断(だん)ぜずして
               涅槃(ねはん)を得(う)るなり」
「如来誓願(にょらいせいがん)の薬(くすり)は
      よく智愚(ちぐ)の毒(どく)を滅(めっ)するなり」
             (2019年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙・1月のことば)
 あけましておめでとうございます。
 今年も真宗教団連合から出されていますカレンダーの「毎月の法語」をご縁に月々の法話を書かせて頂きたいと思います。

 まず、今年の法語カレンダーの表紙は、お正信偈の一節です。
   如来所以興出世(如来世に興出したまうゆえは)
   唯説弥陀本願海(ただ弥陀の本願海を説かんとなり)
   五濁悪時群生海(五濁悪時の群生海)
   応信如来如実言(如来如実の言を信ずべし)
   能発一念喜愛心(よく一念喜愛の心を欲すれば)
   不断煩悩得涅槃(煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
                     (下線部が表紙の言葉です)
 四季社から出されています『教行信証全書』には以下のような現代語訳が示されています。
 「釈尊がこの世にお出ましになったわけは、ただ阿弥陀如来の本願のいわれを説くためでし た。五濁のどうしようもない世の中に生きる人は、如来の真実の言葉を信ずるがよい。よく 一念、信心歓喜の心を起こせば煩悩を断つことなく涅槃の世界に入ることができます」

 仏教は本来、修行をして自ら煩悩を断ち切る教えであると思います。しかし「五つの濁り」という言葉で表されます悪世界に今いる私たちです。五濁とは、劫濁(時代の濁り)・見濁(思想の濁り)・煩悩濁(煩悩がどんどん膨れ上がっていく)・衆生濁(思想が濁り煩悩がどんどん膨れ上がることで人間の苦しみ悩みが大きくなり人間の質が下がっていく)・命濁(寿命が次第に短くなる)ということです。  
 
 そんな濁りの中で生きているのが私たちです。そして、この五濁から抜け出すことが不可能な人間を目当てにして、はたらいてくださっているのが阿弥陀さまなのです。阿弥陀如来の本願を信じ喜ぶことで、悟りの仏と成っていく道が開かれているのです。
 
 その阿弥陀さまのはたらきについて述べられたのが、一月の言葉ではないでしょうか。
 「如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり」
 この言葉は、「教行信証」の信の巻の中の言葉です。
 ここで親鸞聖人は阿弥陀如来のはたらきはすべての生きとし生けるものに平等にはたらいていることを述べられた後に、以下のように続けられます。
「たとえば阿伽陀薬(あかだやく)のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり」(下線部が1月の言葉)
 『教行信証全書』(四季社刊)の現代語訳は
「たとえば阿伽陀薬(不死薬)がよくすべての毒を滅するようなものです。如来の誓願の薬は智者であれ愚者であれ、自らのはからいに執する毒をよく滅するのであります」と示されています。
 
 ここでは、阿弥陀如来の誓願(本願)はたらきを、どんな病気をも治す薬(阿伽陀薬)に譬えられています。私たち自身が持っている煩悩が原因菌となって、苦悩という病気が起こるということの譬えです。この煩悩という原因菌を退治して無くしてしまえば苦悩という病気は起こらなくなるはずですが、普通の病気でも再発することがありますし、この身体があるので何度でも同じ病気にかかったりします。それは病気になる原因菌をずっと持ち続けているのが私たちだということです。煩悩もまた同じようにこの身体がある限りなくならないのです。
 
 いつでも条件が整えば、苦悩は起こるのですが、阿弥陀如来の誓願のはたらき(薬=南無阿弥陀仏)に包まれ抱かれている、阿弥陀さまが何時でも寄り添ってくださっていると阿弥陀さまのはたらきをそのまま受け取ることで、母に抱かれた赤子のように安心させて頂ける世界が私たち一人ひとりに与えられているということなのです。
                                    南無阿弥陀仏