(2019年 真宗教団連合「法語カレンダー」5月のことば)
「平成」から「令和」へ元号が変わりました。「令和」という名の由来は「万葉集」の梅の花の歌32首の序文から出典されたということです。
その序文は
「時、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」
現代語にすると
「初春の良き月夜、空気は澄み風は和らぎ 梅の花は美女が鏡の前で白粉を装うように花開き
蘭の花の香りは身を飾った衣に香を移したような匂いである」
ということだそうです。
「令」というには「素晴らしい」「良い」という意味や「せしむ」「させる」(命令する)という意味があるということで、「和」という字と組み合わせると「平和にする・させる」とか「素晴らしい平和」「和を大切にする」というように味わうことができます。
親鸞さまが和国の教主と仰がれる聖徳太子は「和を以て貴しと為す」(『17条憲法』)と示されています。
「和」とは、私たちが安心して生きていくことができる一番大切なものではないでしょうか。世の中が平和であり、いつも和らぎの心をもって暮らしていくことができたら素晴らしいと思うのですが、現実はそうはいかないが本当のところです。
「令和」という響きに「世の中安穏なれ仏法ひろまれと」申してくださった親鸞さまのお心を聞かせて頂きたいと思うことです。
さて、今月の言葉は、親鸞聖人が詠まれましたご和讃の中の言葉です。
超日月光この身には
念仏三昧をしえしむ
十方の如来は衆生を
一子のごとく憐念す
このご和讃の現代語訳は
「超日月光如来が私(勢至菩薩)に念仏三昧の法を教えてくださいました。阿弥陀如来が
一切の衆生をあわれみ救われることは、ちょうど母親が一人子をいつくしむようなもので あります」(下線部が今月の言葉) (木昭良先生『三帖和讃の意訳と解説』より)
このご和讃は親鸞聖人が『首楞厳経(しゅりょうごんぎょう)』というお経によって、勢至菩薩さまのことを詠まれたご和讃8首の中の1首です。
ここでは、超日月光如来(阿弥陀如来の事)が勢至菩薩さまにお念仏を心ひとつにして煩悩に惑わされることなくひたすら称えて悟りに至る道を説き与えられたことが示されています。
しかし、煩悩にまみれた私たちには心ひとつに念仏し続けることは不可能です。親鸞さまはこの念仏は私どもがどういう状態であっても、阿弥陀仏が私たちを包みこみはたらき続けてくださっていることから称える念仏であると教えてくださっているようです。
それは、今月の言葉にありますように、阿弥陀さまが私たちのことを一人子の親のように常に子供のことを大切に思いはたらき続けておられるからです。親のはたらきをいつも身に受けている子供は「おかあさん」「おとうさん」と口に出して安心することが多いのではないかと思います。
私たちの称えるお念仏もそのような如来のはたらきを頂いて私の口から出てくださるのだと思います。すべての人びとを一人ひとり包んで大切にされるのが阿弥陀さまほはたらきであると知らされると、互いのいのちを大切にしていくことが阿弥陀さまのはたらきに応える生き方なのでしょう。それが「和」を生み出すということだと思います。
南無阿弥陀仏