(2019年 真宗教団連合「法語カレンダー」7月のことば)
今月の言葉は『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』という親鸞聖人の著述の中の一文です。
『一念多念文意』という書物については、昨年(2018年)の3月の法話で少し説明させて頂きました。重複するかと思いますが少し解説させて頂きます。
法然聖人(親鸞さまのお師匠さま)の門弟の中で、お浄土に往生することが決まるのは何時かということについて論争がありました。
ひとつのグループは、阿弥陀さまはたらきで浄土に往生すると思い念仏を一声でも称えた時に浄土の往生が決まるというもので「一念義(いちねんぎ)」といわれる人たちです。そのグループでは、往生することが決まった後の称名念仏を軽視するような教えを説いたようです。
それに対して、一生涯念仏を数多く称え、臨終の時に阿弥陀仏が来迎されるのをまって浄土往生が決定すると主張されたのが「多念義(たねんぎ)」と呼ばれる人たちです。
この両者の間で論争が起こっていたのです。これが「一念多念の諍論(じょうろん)」と言われるものです。
親鸞さまは、この「一念多念の諍論」に対して『一念多念文意』を著わされて、私たちの浄土往生は称名念仏の回数にとらわれないことを示されたのです。それが、今月の法語の言葉となって表されているのだと思います。
今月の法語の現代語訳の文章は、
「これらの文によって、一念多念の争いなどあってはならないということをお考えいただきたい。浄土の真実の教えでは、念仏往生というのである。決して一念往生ということも、多念往生ということもない」(下線部が今月の法語の現代語訳)です。
お念仏(南無阿弥陀仏)は阿弥陀如来そのものです。阿弥陀さまがお念仏(南無阿弥陀仏)と成って、私の両親・祖父母・先生・先輩・友達などいわゆる「知識」と呼ばれる方々、更に人間だけでなく山川草木など数え上げることができない縁をいただいて、私がお念仏を称える身とさせていただいたのです。
阿弥陀さまが「あなたのことを絶対に捨てることはない」と、はたらき続けてくださっていることを私の方は「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏……」と縁あるごとに念仏させていただき喜ばせていただくのです。称名の回数を問題にするのは私たち人間の煩悩を基としたはからいであることは間違いないと思います。
親鸞さまのご和讃(現世利益和讃)に
南無阿弥陀仏をとなふれば 四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ よろずの悪鬼をちかづけず
(南無阿弥陀仏を称える身になると、四天王はみなともに、昼夜を問わずに常に護っ てあらゆる邪悪な鬼を近づけない)
と、詠まれています。
阿弥陀さまのおはたらき(お心)を、そのまま受け取りお念仏(南無阿弥陀仏)を称えさせていただく者は、色々な力で何時も護られていることを示されたご和讃です。
それは、多くの苦しみを抱えて生きる私たちが、本当の安心を与えるはたらきの中にいることを表してくださった言葉だと思います。
お念仏させていただき、ともに阿弥陀さまのおはたらきを喜ばせていただきましょう。
南無阿弥陀仏