(2019年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
今月の法語は親鸞聖人の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という書物の中の一文です。
『教行信証』は、浄土真宗の根本聖典です。正式の名称は『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』といいます。親鸞聖人が心血を注がれて著わされた浄土真宗の立教開宗の根本聖典です。この教行信証の撰述されたのが元仁元年(1224年)であるということで、この年が浄土真宗の立教開宗の年であると定められています。
教行信証は全部で六巻に分けて浄土真宗の教えが詳しく明かされています。その六巻とは、教巻・行巻・信巻・証巻・真仏土巻・化身土巻です。
さて今月の法語は、教行信証の信巻に出されている一文です。
「涅槃の真因はただ信心をもってす」
(仏のさとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである)と『現代語版』には示されています。
親鸞さまは、私たち凡夫が、仏のさとりを得るには、阿弥陀仏のおはたらきにすべておまかせし、お浄土に生れさせていただき、成仏する以外にないとお示しくださいました。
親鸞さまのご和讃に
如来すなわち涅槃なり 涅槃を仏性となづけたり
凡地にしてはさとられず 安養にいたりて証すべし
(如来はすなわち涅槃である。この涅槃を仏性と申しあげる。凡夫には、これをさとることができない。浄土に至ってはじめてさとることができる) 『三帖和讃現代語版』より
「涅槃」とはすべての煩悩のなくなったさとりの境地をいいます。この世で修行してそのさとりを得ることが、仏教の教えであると思います。親鸞さまも「さとり」を目指して比叡山で20年間に亘る修行をされていたことでありましょう。
親鸞さまは修行を続けながら、恐らく、悟りの世界からどんどんかけ離れていくご自身に気づかれ、ご自身の中でどうにも超えることのできない壁となって迫ってくる思いに苦しみ続けられたのではないかと想像します。そんな自分が、阿弥陀さまのはたらきにおまかせをする「信心」で「さとり」を得ることができるという教えに遇われ歓喜されたことは想像に難くありません。
それは、法然聖人との出遇いによるものです。
親鸞聖人の語録である『歎異抄』の第2条には、次のように書かれてあります(『歎異抄現代語版』より引用)。
【この親鸞においては、「ただ念仏して、阿弥陀仏に救われお往生させていただくのである」という法然聖人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません。念仏は本当に浄土に生れる因なのか、逆に地獄に堕ちる行いなのか、まったく私の知るところではありません。たとえ法然聖人にだまされて、念仏したために地獄へ堕ちたとしても決して後悔は致しません。】
と申されています。親鸞さまの法然聖人に対する絶対の信頼が表された言葉です。
親鸞さまは「自分はどんな修行も満足に修めることができない地獄以外に住み家のない身である。そんな私が阿弥陀仏(お念仏)のはたらきによって浄土に往生し成仏させて頂く道がある」ことを法然聖人によって示されたのです。
阿弥陀さまのおはたらきをそのまま受け取ることが信心です。そのまま受け取るということは、地獄行きの私を絶対安心の浄土に生れさせて悟りの仏にするとはたらいてくださる阿弥陀さまにおまかせすることです。
阿弥陀さまのおはたらきを疑うことなくそのまま喜ばせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏