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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2019年10月の法話
 「信心(しんじん)」というは 
     すなわち本願力(ほんがんりき)回向(えこう)の 
                    信心(しんじん)なり
             (2019年 真宗教団連合「法語カレンダー」10月のことば)
 今月の法語は浄土真宗の根本聖典(ご本典)であります『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の「信の巻」に出される一文です。
 この法語は、『仏説無量寿経』に説かれている「本願成就文」に対して親鸞さまが解説された文章中の一文です。
「成就文」と申しますのは、経典などにおいて、仏の誓願が成就したことを表している部分の文章のことをいいます。ここでは、仏説無量寿経に説かれる「四十八願」の中、第十八願(本願)が成就したことを示されていますので、「本願成就文」と申し上げます。
 その経文は以下の通りです。

「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転 唯除五逆 誹謗正法」
(あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまえり。かの国に生れんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とをば除く)

教行信証の「現代語版」には以下のように現代語訳されています。
《すべての人々は、その名号のいわれを聞いて信じ喜ぶまさにそのとき、その信は阿弥陀仏がまことの心(至心)をもってお与えになったものであるから、浄土へ生まれようと願うたちどころに往生すべき身に定まり、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を謗るものだけは除かれる》

この本願成就の文を親鸞さまが解釈してくださったところに今月の法語が出されています。(現代語版を引用します)

「ところで『仏説無量寿経』に「聞」と説かれているのは、わたしたち衆生が、仏願の生起本末を聞いて、疑いの心がないのを聞というのである。「信心」というのは、如来の本願力より与えられた信心である。「歓喜」というのは、身も心も喜びに満ちあふれたすがたをいうのである。「乃至」というのは、多いのも少ないのも兼ねおさめる言葉である。「一念」というのは、信心は二心がないから一念という。これを一心というのである。この一心が、すなわち清らかな報土に生れるまことの因である。………………
(下線部が今月の言葉の現代語訳です)

 引用がたいへん長くなりましたが、「信心」ということについて、私たちが阿弥陀さまを信じ頼りとさせていただくのは、阿弥陀さまから与えられた「心」であると示されています。阿弥陀さまを信じる心を阿弥陀さまからいただく、どういうことでしょうか?

 それは、いつも申し上げることですが、親と子の関係はそのことを示していると思います。子どもを授かり子育ての中で、親は、どれだけ我が子に呼びかけはたらきかけるでしょうか。
自分が我が子に、生後、何回我が子の名前を呼んだかと訊かれると数などとても数え上げることはできません。呼びかけだけでなく、我が子に対して色々なはたらきをしたことです。そんな呼びかけや抱っこなどの親からのはたらきかけによって、子どもは、この人なら間違いがないと感じて、安心して身をゆだねていくことができるのだと思います。
 
 阿弥陀仏の根本の願い(本願)は、私のことを必ずさとりの仏にするということです。そのために、いつでもどこでも阿弥陀さまは、はたらき続けてくださっています。阿弥陀さまのおはたらきを疑うことなく、そのまま受け取らせていただくことが「信心」ということになります。間違うことが多く煩悩にまみれた私に本当の安心を与えるためには、阿弥陀さまはじっとしておれずに私に向かってはたらき続けてくださっているのです。
阿弥陀さまのはたらきを繰り返し聞かせていただきたいものです。
                                    南無阿弥陀仏