(2020年 真宗教団連合「法語カレンダー」2月のことば)
今月の法語は、真宗大谷派(東本願寺)の清沢満之(きよざわまんし)師の言葉です。
清沢満之師(1863〜1903)については、『真宗小事典』(法蔵館刊)には以下のように記載されています。
大谷派。尾張藩士の徳永家に生まれ、16歳で得度。大谷派育英教校を経て、明治20(1887)年、東京帝国大学哲学科卒業。明治33年、東京に浩々洞(こうこうどう)(=宗教的な共同生活体)を営み、翌34年雑誌『精神界』を発刊。同年、真宗大学学監(学長)となる。ヨーロッパ合理主義をとりいれた精神主義により、自己の内的信仰にねざした近代的仏教信仰の確立につとめ、本願寺宗政改革運動をすすめた。著書には『宗教哲学骸骨』『我信念』などがある。
そして『真宗新辞典』(法蔵館刊)には清沢満之師の唱導する精神主義は近代的仏教信仰を確立したものとして注目されているとも記されています。
今月の言葉は、雑誌『精神界』の収められている「絶対他力の大道」という論文に出されている一文だそうです。
その論文には以下のような文章があるということです。
「我等は死せさる可からず。我等は死するも尚ほ我等は滅せず。生のみが我等にあらず。死 も亦我等なり。 我等は生死を並存するものなり。我等は生死に左右せらるへきものにあら さるなり。我等は生死以外に霊存するものなり。」(下線部が今月の言葉)
ここで清沢師は、生と死は一つものであることを説かれているのだと思います。
「死んだらおしまい」とよく言いますが、そうではなく、私たちのいのちは、生死を超えて生き続けるものであるということなのでしょう。自分の生だけにとらわれ死を受け入れようとしないのが私たちの姿であることを示されているのだと思います。
名古屋にある同朋大学教授の田代俊孝先生はその著『悲しみからの仏教入門』(法蔵館刊)の中で、
「われわれは大きな宇宙の中にありながら、自我の思いに縛られ、小さな世界に閉じ籠って いる。生や死を見つめることは、そのことに気づかせてくれる。生きている時に、広い世界 に目覚め、その自我を破った人 つまり?いのち≠ヘ普遍からのいただきものと感知した者 は、生きながらにして宇宙に生き、生きながらに大きな?いのちの大河≠ノ出合っている のである。」
と、示されています。
そして、親鸞聖人は、
本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
というご和讃を詠まれています。
このご和讃について、大谷光真本願寺前ご門主は『今を生かされて』(文藝春秋刊)というご著述の中で、
「阿弥陀如来の願いに出遇えたなら、人生がいかなるものであっても虚しくはないと教えて いただきます。人生は死で終わる虚しい断絶ではなくて、あらゆる苦を超えて仏と成らせて いただく浄土往生の道なのです。この道は自分が一人で切り開く道ではなく、阿弥陀如来が 願い、与え、導き、歩ませてくださる道なのだから安心せよ、と語りかけられています。」
と、お示しくださいます。
私の自我を破り「死」を超えて崩れることのない本当の安心を与えようとはたらき続けてくださっているのが阿弥陀如来です。そのはたらきは、「名号(南無阿弥陀仏)」なって私に届けられ「お念仏(南無阿弥陀仏)」となって私の口から出てくださいます。
お念仏称える中に阿弥陀さまが私にかけてくださっているおはたらきを喜ばせていただきたいものです。
南無阿弥陀仏