(2020年 真宗教団連合「法語カレンダー」5月のことば)
5月の法語は九条武子さんのお歌です。
九条 武子(くじょう たけこ)(1887年(明治20年)10月20日〜1928年(昭和3年)2月7日)さんは、西本願寺の第21代法主・明如(大谷光尊)上人の次女として生まれられ、九条良致(くじょうよしむね)さんと結婚されたのが23歳の時でありました。
武子さんは、仏教に基づく女子高等教育の機関として京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立されました。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では、ご自身も被災されたのですが、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業も推進されました。
歌人としても名を馳せておられ、佐佐木信綱師のご教導を受けられ和歌にもたけ、『金鈴』『薫染』などの歌集があり、仏教讃歌の「聖夜(せいや)」は、1927年(昭和2年)7月に出版された随筆『無憂華(むゆうげ)』の中に収められていいます。
「聖夜」
星の夜空の美しさ たれかは知るや天のなぞ
無数のひとみかがやけば 歓喜になごむわがこころ
ガンジス河のまさごより あまたおわするほとけ達
夜ひるつねにまもらすと きくに和めるわがこころ
夜空に美しく輝く数えきれない星のように、そして、ガンジス川の砂の数よりも多くおられる仏たちに護られて生きていることの喜びと安らぎが表現されています。
そして、武子さんは、1928年(昭和3年)2月7日、震災復興事業での奔走の無理がたたり、敗血症を発症して東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町原宿の病院において、42歳で念仏のうちに往生されたそうです。
さて、今月の法語は、『無憂華』に「幼児のこころ」と題された随筆に収められている歌です。
「幼児が母のふところに抱かれて、乳房をふくんでいるときは、すこしの恐怖も感じない。すべてを託しきって、何の不安も感じないほど、遍満している母性愛の尊きめぐみに、跪かずにはおられない。
いだかれてありとも知らずおろかにも
われ反抗す 大いなるみ手に
しかも多くの人々は、何ゆえにみずから悩み、みずから悲しむのであろう。救いのかがやかしい光のなかに、われら小さきものもまた、幼児の素純な心をもって、安らかに生きたい。大いなる慈悲のみ手のまま、ひたすらに久遠の命を育みたい。――大いなるめぐみのなかに、すべてを託し得るのは、美しき、信の世界である。」
(『九条武子抄』大谷嬉子前々裏方編 78頁 同朋社刊より)
私たちはいつでもどこでも、母親が赤ん坊を抱きしめるように、阿弥陀さまに抱かれているのです。そして「聖夜」で示されますようにそんな私のことを数限りない仏さま方が見護り支え続けてくださっているのです。
ところが、その仏さまのお心に反抗して生きているのが自身の姿であることを示してくださった歌です。『無憂華』には「悪の内観」という随筆もあります。
その中で、武子さんは、「……しかし何人も、みづからの善を誇ってはならない。むしろ他の悪によって、みづからの悪に泣くことがなかったならば、みづからの内面が、つねに悪の炎に燃えていることにきづかずにいよう。……」と記されています。
仏さまのお心に逆らってばかりの私であるからこそ、救わずにはおれない阿弥陀さまなのです。
南無阿弥陀仏