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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2020年7月の法話
   「人間は死(し)を抱(いだ)いて生(う)まれ 
            死をかかえて成長(せいちょう)する」 
          (2020年 真宗教団連合「法語カレンダー」7月のことば)
 7月の法語は信国淳(のぶくにあつし)先生の言葉です。先生は1904年に大分県宇佐市にお生まれになられました。長じて東京帝国大学のフランス文学科を卒業され大谷大学教授・大谷専修学院の院長を務められた方です。大谷専修学院は、真宗大谷派が運営する一年全寮制の僧侶養成の専門学校で1924(大正13)年に設立されました。信国先生は1958(昭和33)年から20年間学院長を務められ、「呼応の教育」を薦められたということです。
 
 先生の講義講演録である『いのちは誰のものか』(柏樹社刊)の中に「呼応の教育」という講演録に次のような一文があります。

……しかるに聖人の浄土仏教は、そういう我々を念仏の信心によって教育し、その我々を浄土に呼び返し、浄土に呼び覚まそうとする教えであり、そしてまさにそのことによって我々を、真に人と世界を愛する者として育成しようとする教えであります。
 だからその点からいうと親鸞聖人の浄土仏教は、念仏の信心によって人間を教え導き、ここにあってすでに仏の浄土と呼応しながら、真に人を愛し世界を愛する世界人を、我々の間から創り出そうとする教えであると、かようにいうことができるのです。何にしても、そうした浄土仏教による教育を我々のために行うのが念仏の信心というものであり、そしてその念仏の信心は、人間自他の僧伽(サンガ)における出会いを通じ、そこで信心の呼応という形をとって生まれることになるのです。…(中略)…我々相互の間に生ずべき呼応ということを、究極的な目的として、また同時に究極的な方法としてもつところの仏教教育でなければならぬということです。……(『いのちは誰のものか』77ページ)
 
 引用が長くなりましたが、先生の申される「呼応の教育」、仏さまからの呼びかけ、親鸞さまからの呼びかけを聞かせて頂き、先生からの呼びかけ、生徒からの呼びかけ、そのことに相互に応えあうことが本当の教育であることをお示し頂き、そのような深い理念のもとに学院長を長きにわたり務められたことと拝察させていただくことです。
 
 さて、今月の法語は、『信国淳 選集』第6巻「浄土―個人と衆生―」(柏樹社刊)に収められている「浄土―仏教の身土観―」の中の一文だそうです。今月の法語の少し前から引用させていただきます。
……私どもは、死ぬべき身としてこそ生を始めるのであって、死なぬ身、不死身として生きるのではない。死をよそにして生きる身体というものはない。人間は死を抱いて生まれ、死をかかえて成長する。死はこの身において成熟する。……(24ページ)

 私たちは生まれるから死ぬのです。「生まれ」だけあって「死」がない人は誰もいません。
しかし、「生まれることは喜びであり良いことであり、死ぬことは悲しく不幸なことである」と、決めつけているところが私たちにはあります。生の反対語は死であると小学校の時に習いました。つまり生と死は対立するものであるという意識を持っているのが私という存在であるということでありましょう。
 呼応の教育の引用で示されますように、自と他の対立を超えることができないと同様に、自己の生と死の対立もまた超えることができないのが人間であるとのお示しです。それが私たちの苦悩の原因ということなのだと思います。
 その対立を克服させようとはたらいてくださっているのが阿弥陀さまという方であると思います。それは、私のいのち、すべてのいのちを丸ごとかかえてはたらいてくださっているからです。
 阿弥陀さまのはたらきをそのまま聞かせていただくことで、自己自身のあり方に気づかされることの大切さをお教えくださっている法語です。
                                    南無阿弥陀仏