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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

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浄土真宗とは

今月の法話

2021年1月の法話
「念仏となって 私の口から  現れて下さる み仏のはたらき」
「私を生かしておる 力というものに  帰っていく歩み それが仏道」
          (2021年 真宗教団連合「法語カレンダー」表紙・1月のことば)
 あけましておめでとうございます。
 今年も真宗教団連合から出されていますカレンダーの「毎月の法語」をご縁に月々の法話を書かせて頂きたいと思います。

 法語カレンダーの裏面にはカレンダーについての説明文があります。
 そこに2021年のカレンダーのテーマは「親鸞聖人に遇う」であると示されています。  
 2023年に親鸞聖人が誕生されて850年を迎えることからあらためて親鸞聖人に遇う機縁になることを願われてのテーマ設定であるということです。 

 親鸞聖人の主著であり浄土真宗の根本聖典である『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の序文に次のような一文があります。
  『ああ、弘誓の強縁、多生にも値(もうあ)いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。  遇(たまたま)行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。…<略>…ここに愚禿釋の親鸞、慶ばし
  いかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇いがたくしていま遇うことを得た
  り聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。……』
  ≪ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心
  はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得た
  なら、遠く過去からの因縁をよろこべ。…<略>…ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばし
  いことに、インド・西域・の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに遇う
  ことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。……≫『顕浄土真実教行証文類(現  代語版)』
 
 ここに「あう」という漢字が二種出てきます〈値〉と〈遇〉です。
 漢和辞典には〈値〉は直接正面から向かいあって「あう」と示されています。〈遇〉は、たまたま、ひょっこり、思いがけずに「であう」という意であることが示されています。
 このように示していただきますと、阿弥陀さまの本願のはたらきは私たちに正面から休むことなしにはたらき続けてくださっているものであることを表すために親鸞さまは〈値〉の字を使われたのではないかと思われます。
 阿弥陀さまが常に私に向かってはたらき続けてくださっているのに、私の方に阿弥陀さまに向かう縁がなければどれだけ生まれ変わり死に変わりしても「あう」ことができないことを示され、そんな私が、このたびたまたま阿弥陀さまの本願のはたらきに遇わせて頂くことができた縁を深く尊いものであると受け取ることの大切さをお示しくださった言葉です。
 私たちが親鸞さまのみ教えに遇わせていただけたことのご縁もまた数えることができないものです。そんな尊い出遇いであることを大切にしていきたいものであります。

 さて今年のカレンダーの表紙の法語は
「念仏となって私の口から 現れて下さるみ仏のはたらき」〈松野尾潮音先生の言葉〉
 私が南無阿弥陀仏と称えることができるのは、阿弥陀さまのはたらきであることをお示しくださったと頂きます。いつでも阿弥陀さまは私とともにいてくださるということを証明する言葉がお念仏(南無阿弥陀仏)であると味あわせて頂きます。
 そして1月の法語は
「私を生かしておる力というものに 帰っていく歩みそれが仏道」〈宮城(しづか)先生の言葉〉
 仏道とは、「仏の悟りを開くために進んでいくべき道」と解釈していいのだと思いますが、宮城先生は「帰っていく歩み」と申されています。それは、常に私にはたらきかけてくださっている阿弥陀さまに向かって生きていくことが大切なことであることをお示しくださっているのだと思うのです
 親鸞さまは私たちに阿弥陀さまのおはたらきをお示しくださいました。その親鸞さまのみ教えを大切にお聴聞させて頂きたいものです。
                                    南無阿弥陀仏