(2021年 真宗教団連合「法語カレンダー」4月のことば)
今月の法語は、和気良晴(わけりょうせい)(1947〜2004)先生の言葉です。
先生とは、ずっと以前にご縁があり、先生が真摯に浄土真宗の伝道布教に取り組まれているお姿に多くのことを教えて頂いていたことを改めて思うことです。
さて、今回は、親鸞さまの作られた『正信念仏偈』のお言葉によって、私なりに、今月の法語を味あわせて頂こうと思います。
「如来さまより最も遠い身」と申されますのは、阿弥陀さまのお心とは、全くかけ離れた生き様をしている私ということであると思います。阿弥陀さまのお心とは、すべてのいのちを慈しみすべてのいのちを救いたいということです。そのためにいのちあるものすべてにはたらき続けておられるのです。
お正信偈には
「普放無量無辺光・無碍無対光炎王・清浄歓喜智慧光・
不断難思無称光・超日月光照塵刹・一切群生光照」
(無量光・無辺光・無碍光・無対光・炎王光・清浄光・歓喜光・智慧光・不断光・難思光・ 無称光・超日月光とたたえられる光明を放って、広くすべての国々を照らし、すべての衆生 はその光明に照らされる)≪顕浄土真実教行証文類 現代語版≫と、示されています。
つまり、私たち一人ひとりに対して阿弥陀仏の光明は、はかり知れない光で、どこまででも照らし、どんな障害でも突き破り、他と比べようもなく、煩悩を燃やし尽くし、絶対に汚れることなく、人々に喜びを与える悟りの光です。さらに、休むことなく照らし続ける光、不思議な光、言葉で言い尽くせない光であり、太陽や月の光を完全に超越した光としてはたらいておられる阿弥陀さまであることが示されています。
何故このように阿弥陀さまのはたらきが説かれるのでしょうか。
それは、私という人間を救うことが阿弥陀さま(如来さま)の目的であるからです。
仏説無量寿経には「如来が世にお出ましになるわけは、仏の教えを説き述べて人々を救い、まことの利益を恵みたいとお考えになるからである」と示されています。
その救いの対象になる私の姿をお正信偈には「邪見驕慢悪衆生」「惑染凡夫」「一生造悪」「極重悪人」というような表現で示されています。それは、如来さまのすべての人々に悟りを開かせ絶対の安心を与えたいというお心からは遠くかけ離れた私達の姿であることを示してくださる言葉です。
「自分中心にものを考えそれを他の人々に押し付ける」「多くのいのちを取る」「煩悩(欲望や他をやっつける心や妬みやそねむ心などその数は無数といわれています)のままに仏教でいわれる悪行を繰り返してしまう」それが私の姿であるということです。そんな私が仏法を聞かせて頂くことで、そのような自分に気づかせて頂くのです。
現に今、「お正信偈」の言葉で自分自身の姿を親鸞さまに教えて頂いています。その時に、自分が如来さまから遠くかけ離れた身であることに気づかされるのです。それと、同時に、そんな私であるから放っておくことはできないと、阿弥陀さまが私のことを何時でも何処でも照らし続けてくださっていることを教えられます。それは、阿弥陀さまがいつも私と一緒にいて下さるということです。
ところが、そんな自分の姿に気づかされたとしても煩悩は消えたり無くすことができないのが私達であることも教えられます。
お正信偈には「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」(信をおこして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる)≪現代語版≫と示されます。
阿弥陀さまの心から遠くかけ離れた心を持ち、阿弥陀さまに逆らってばかりの自分であるからこそ、絶対に捨てられないとはたらいてくださる阿弥陀さまであります。いつも一番身近にいて下さる阿弥陀さまのおはたらきを聞き続けたいものです。
南無阿弥陀仏