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浄土真宗本願寺派 西法寺 大阪府柏原市

〒582-0021 大阪府柏原市国分本町5-6-19

TEL.072-977-3882

浄土真宗とは

今月の法話

2021年6月の法話
「信心(しんじん)というのは凡夫(ぼんぶ)が
     仏(ほとけ)さまと同(おな)じ命(いのち)を
       共有(きょうゆう)するという出来事(できごと)」
          (2021年 真宗教団連合「法語カレンダー」6月のことば)
 新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延しています。   
 日本では、そのコロナウイルスに対するワクチン接種もようやく本格的に始まりました。接種を受けられた方のインタビュ−を聞いていますと「もうこれで心配ない!」「もう大丈夫。気軽に出かけることもできます」という安堵の声が聞かれます。ところが、私の周りには「副反応が心配でとても受けられません」「副反応で亡くなられた方もおられると聞きました。とても怖いです」と、いうような声も耳に入ってきます。お医者さんの中には「ワクチンは打っては駄目」という方もおられます。
 しかし、今回のワクチンの予防効果は95%以上と説明されています。それなら大丈夫だろうということで大半の方が効果を信じて接種されるようです。私もそのうちの一人で、7月初めに1回目のワクチン接種の予約をして頂きました。ワクチンを打つことで新型コロナウイルスに感染しないであろうということを信じて(副反応は少し不安ですが)接種しようと思います。 
 ところで、私たちが使う「信じる」という言葉について少し考えてみたいと思います。
 『広辞苑』で「信じる・信ずる」の項目を引いてみますと
       @ まことと思う。正しいとして疑わない。
       A 信仰する。帰依する
 と、記されてあります。
 私たちは「信じる」という言葉を、人に対して、神様や仏様に対して、上記のような意味で使っていることになりますが、コロナワクチンに対しては、完全に信じているのでなくて信じたほうが自分にとって都合がよいという思いがあるというのが本音のところです。
 このようにどちらかと申しますと、私の信じる心というものは、自分の置かれた状況や立場に左右されて、自分の都合によって信じる心が起こってくることが多いのではないかと思います。
 例えば、「神様や仏様を信じる」ということは、自分にとって都合のよいことが起こりますようにとひたすらお願いするということが多いようです。「○○の神様を信じたら、病気に罹らない」というようなことです。こんな風に、自分の都合で信じる気持ちになるのが私たちではないでしょうか。
 
 ところが、仏教でいう「信心」は、「仏の教えを信じて疑わない心。仏道の根幹をなすもので、この信をもとに成仏への道が開かれる。」と、『浄土真宗辞典』に示されてあります。
 特に浄土真宗の信心は「真実信心」といわれ「阿弥陀仏より衆生に与えられた本願力回向の信心。阿弥陀仏から回向された信心であるから大信ともいい、一心ともいう。…(略)…信楽ともいわれ、無疑心のことであって、疑心なく本願の名号を領受した心をいう。……」と『浄土真宗辞典』に示されています。

 さて、今月の法語は、奈良県吉野のお寺の住職であり大阪大学や龍谷大学で教授をつとめられた大峰顕(おおみねあきら)(1929〜2018)先生の言葉です。
 今月の法語に出される「信心」とは、心がコロコロ変わるような私たちが作り上げるものでなく、阿弥陀さまから頂く信心のことです。
 信心は阿弥陀さまの心、阿弥陀さまそのものと受け取らせて頂くことができます。信心を頂くということは、何時も阿弥陀さまが自分にはたらき続け私をつつんでくださってあるということをそのまま疑いなく受け取らせて頂くということです。
 つまり、阿弥陀さまが私と一体となって、私のいのちを引き受け抱き続けてくださってあるということです。
 6月の言葉は、自分が阿弥陀さまから頂いたいのちを生きさせていただいていると、自分のいのちを位置づける世界のあることをお示しくださったのではないかと思うのです。
 阿弥陀さまに大切にされるいのちを頂てあることを喜ばせていただきたいものです。
                                    南無阿弥陀仏