(2021年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
今月の法語は、山本仏骨先生(1910〜1991)の言葉です。1979(昭和54)年、私は先生が本願寺派の伝道院の院長をされていた時に住職課程の受講生として、先生の教えを聞かせて頂いたことでした。住職課程は100日間の研修期間があり、その最後には、伝道布教の実践研修ということで、受講生2人と指導講師1人という3人構成で1班になり現場(寺院など)に赴き法話をする研修がありました。その時は、2泊3日で富山県の寺院にお世話になり勉強をさせて頂きました。その時の指導講師が山本仏骨院長でした。その時初めて先生と距離を置かずお話しを聞かせて頂くことができたのです。それがどんなに大切なご縁であったと気づかせて頂いたのは、お恥ずかしいことですが、先生のお葬儀の時であったように思います。
ところで、その伝道旅行の時、先生が「安藤君、恋愛したいのならまず親鸞さまに恋しなさい」と仰ったのです。そして後はニコニコしておられました。その時は、なんとなく先生の申される意味が分かったような気がしました。当然、親鸞さまを恋人にすることはできませんが「恋愛」とは相手のことを理解しようという思いを大切にすることであると解釈しますと「親鸞さまのことを、浄土真宗を愛しなさい、理解するよう努め励みなさい。それが今のあなたにとっては大切なことですよ」とお示しくださったのだと思いました。
しかし、教えを受けても、それを全くと言っていいほどに実践できない私であると知らされます。ともすると、自分の都合で、自分をよく見せるために親鸞さまを利用していることがあります。悲しいことです。お恥ずかしいことです。
さて、今月の法語は、山本先生のお弟子であられた梯實圓先生の『花と詩と念仏』(永田文昌堂刊)の中の「喜憂を越えた人―山本仏骨先生をしのぶ―」と題された文章に出されているものだそうです。
≪ 御往生の少し前に、病室をたずねたとき、ちょうど病室を変えられた直後でしたが、「いつまでここにいるのか」とおっしゃいますので「お楽になられるまで、もうしばらく御辛抱ください」といったら「まあどこにおってもお慈悲の中だからのう」とつぶやくようにいわれたのが、今もあざやかに思い出されます。≫(下線部が今月の言葉)
伝道院で受けさせていただいた山本仏骨先生の講義で、【阿弥陀さまに対して、私たちが阿弥陀仏を礼拝し、その名を称え(称名)、阿弥陀仏を念う時に、阿弥陀さまは礼拝する私たちを見続け・見通し、私たちの称名の声を聞き漏らさず、私が浄土を想えば、その心を知り尽くしてくださっているのです。ですから、阿弥陀さまは「見てござる、聞いてござる、知ってござる」の仏さまであると言われるのである】とご教示いただいたことを思い出します。
『仏説観無量寿経』には
「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」
〔その一つ一つの光明はひろくすべての世界を照らして、仏を念ずる人々を残らずその中に摂め取り、お捨てになることがないのである)(『浄土三部経 現代語版』より)
というお示しがあります。
何時でも何処でも何をしている時でも、阿弥陀さまは常に私を思い支え続けてくださっていることをお示しくださった今月の言葉です。
南無阿弥陀仏とお念仏する中に、できるだけ阿弥陀さまが共にいて下さるという思いを持ちたいものです。
南無阿弥陀仏